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【BOOK】「小説に見る韓国社会100年…罪意識・羞恥にあふれている」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

ソウル大学の徐榮彩教授。小説作品の症状を分析した『罪の意識と羞恥』を出版した。

『罪の意識と羞恥』

「崔仁勳(チェ・インフン)の小説『広場』は倫理意識過剰だ」。

ソウル大学アジア言語文明学部の徐榮彩(ソ・ヨンチェ)教授(57)は9日、このように語った。徐教授このような主張をまとめた文学研究書『罪の意識と羞恥』(ナムナム出版社)を最近出版した。

長編小説『広場』は、かつて評論家の金炫(キム・ヒョン、1942~90)が「朝鮮戦争以降に発表された最も重要な長編」と評した作品だ。そのような小説に何か問題があるということなのか。


徐教授は「文学作品にはよく『症状』と表現する、叙事の亀裂や情緒的過剰あるいは欠乏現象がどうしても現れる」と語った。だが、小説は作家一人で書くものではない。その時代の無意識的集団記憶、情緒的経験が反映されるものだからだ。このため、小説の主人公たちの異常行動を分析すればその時代が見えるというのが徐教授の着眼点だった。

徐教授は「そのような考えで韓国近代文学の主要な作品のうち、主人公の異常行動を詳しく追ってみたところ、罪の意識と羞恥という感情が際立っていた」と説明した。徐教授によると、小説の主人公は己の人生の主人、主体になるために罪を犯さなければならない。フロイトやカントなどの人間学がそのように教える。罪の意識から文明が芽生え、自己の意志で罪を犯す時、自由状態を確認することができる。したがって、主体つまり大人になる過程で犯す小説の登場人物たちの異常行動を、その時代を表わす症状と見ることができるという分析だ。

徐教授は「韓国初の近代小説である李光洙(イ・グァンス)の1917年長編『無情』では罪の意識という感情が顕著だ」と述べた。小説は、師範学校の校長チェ・ソクが独立運動の途中で死んだ友人の娘ジョンイムを引き取って深い愛情で育てるが、妻から不倫を疑われるとシベリアのバイカル湖に向かい、その地で自殺を図ろうとするあらすじだ。徐教授は「そのような極端な選択が釈然としない」と述べた。精神的な愛だったにもかかわらず、自らを性急に断罪した後、終盤に及んで自己の過ちが何だったかを振り返るチェ・ソクの姿が、先に罰を受けて後で罪を探すというふうに映る。主人公に罪を犯させて罰を受けさせることが、作家・李光洙にとってどうしてそれほど重要なことだったのだろうか。国が主権を失って主体になることはできない植民治下の民は、存在しない罪でも犯してこそ初めて大人、主体になれる。そのような無意識が李光洙の中で働いていたということだ。

『広場』の主人公イ・ミョンジュンが説得力のある理由もなく、南北ではなく中立国に向かう船の上で自殺させた設定も、同じ論理で説明することができる。罪意識の過剰と捉えることができるという分析だ。戦争勃発の責任がない人の自己処罰だ。

徐教授は同著で女性小説家・韓江(ハンガン)の2014年の長編小説『少年が来る』にも踏み込んでいる。徐教授「韓国近代文学100年の前半50年の作品は罪意識、後半50年の作品は羞恥という情緒が際立つ」と話した。幼少時代の貧困体験を素材にした李清俊(イ・チォンジュン)の短編小説『背の低い自由人』は主人公の羞恥体験を強烈に描いた。西欧先進国と比べて恥ずかしさを覚え、貧困からの脱出を夢見た1960年代の韓国社会を反映している。

徐教授は「近代文学に現れた韓国人の心は主権のない主体の過剰倫理から市民主体の責任倫理へと流れていく」とした。その過程を発展と見ることはできるだろうか。「発展とも言えるだろうが、おそらくそれは男性主体の見方だ。女性主体の立場からはむしろ抑えられて無意識的に潜在している怨恨という感情と言えるかもしれない」と説明した。



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