防弾少年団
AMAs公演のある数日前、私はパリで学部生と大学院生の韓流ファンにインタビューしていた。好きな歌手と俳優を挙げるようにという問いに、驚くことにスーパースターやスーパーグループの名前ではなく弘大(ホンデ)前のインディーバンドや初めて聞くようなヒップホップアーティストの名前、最近見た韓国映画やドラマの演技派俳優の名前を主に挙げていた。これはパリの若い韓流ファンが防弾少年団やBIGBANG、EXOを挙げないからだとか、または東アジアのスーパースター級の俳優を知らないとか彼らの映画やドラマを見ないとかではなく、すでに韓流ファン集団の中で自分の好みに伴う差別化が進んでいるという証拠だ。韓流は今やスターに頼らなくても持続するほど成長し、韓国内で光を見ることのできない小さなグループが欧州ツアーを通じて自身の海外ファンを切り開いていっているほど全般的な大衆文化が魅力的なものとして受け入れられていた。
韓国の大衆文化が世界の中でこのように「クール」であることは事実だが、これは政府による支援の結果や意図的に生産されたものではない。長年の努力と克服によって積み上げられた韓国社会のメッセージであり、その切実さが投射された大衆文化のパワーだ。西欧のエリート記者団が聞いて好むような理論である韓流が、政府の支援による輸出型文化産業の結果で、政府の積極的な広報の効果であるという説明がこれ以上力を得ることができないことを願う。世界のどの政府も文化産業のために投資して海外進出を支援しているが、世界的な成功はこれによる効果ではない。政府は水路が流れるように手助けすることはできても、流れる水路をつくることはできない。韓国政府が韓流の持続的な発展のために何かをしようとしているなら、これまで数えきれないほど言及されているように、大衆文化の中で夢をかなえようとする若者の労働と人生の条件を改善するための基礎を政策的に整えることが最善だ。
最後に、最高のコンサート場を一つくらいは作ろうではないか。いつまでK-POPを「聞くより見る音楽」という偏見の中に自分を閉じ込めて体操競技場や演劇劇場、スポーツスタジアムで公演させているのだろうか。
ホン・ソクギョン/ソウル大言論情報学科教授
防弾少年団に米国少女たちが熱狂する訳(1)
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