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日本人は昔の家をすぐに壊すが、韓国大都市は遺跡を守り続けている

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

自然に優しい「小屋」シリーズを製作している中村好文氏が2012年、長野県の林の中に製作した「Peak Hut」(写真=中央フォト)

自然に馴染む小さい家づくりをしている中村好文氏。2005年に浅間山麓に作ったエネルギーの自給自足を実験する住宅。(写真=中央フォト)

超高齢社会に合わせて一人で住む高齢者のための小さく気負いのない家が今後もっと多く作られるべきだと主張する中村好文氏。中村氏が製作した単独世帯用小屋住宅「Hanem Hut」。(写真=中央フォト)

2012年、兵庫県神戸市に作った小屋住宅「Luna Hut」。神戸市内の夜景が見下ろせる。(写真=中央フォト)

ソウルで建築関係者と家について話をしている中村好文氏(右から2人目)。

中村氏が設計した日本中部岐阜県多治見市にある陶磁器工芸専門美術館「瑞浪芸術館」全景。江戸時代の藁葺き屋根の民家を現代的な美術館に変貌させた作品。昔のものと今のものをうまく共存させている空間だ。(写真=中央フォト)

瑞浪芸術館の内部全景(写真=中央フォト)

慶尚北道(キョンサンブクド)で発生した浦項(ポハン)地震は私たちが住んでいる家が安全なのか、改めて振り返る契機になった。日本大学の中村好文教授(69)は地震が多い日本で「良い家とは何か」を絶えず問いかけ考えてきた建築家だ。

日本を代表する住宅専門の建築家であり教育者である中村氏は、最近、韓国の建築事務所「guga都市建築」(代表チョ・ジョング)の招きで来韓し、未来都市のための「家の話」について語った。『住宅読本』『住宅巡礼』『パン屋の手紙 往復書簡でたどる設計依頼から建物完成まで』など気さくな感覚の著書が韓国でも翻訳されて厚い読者層を持つ中村氏は、韓国式家屋(韓屋、ハノク)や都市再生などソウル一帯を見つめる視線もまた温かかった。

「1978年に初めて韓国に来て以来、関心を持って西村や北村などを見守ってきました。予想よりも過去の都心の情緒と遺跡を守っていて驚き、うらやましく思いました。東京は再生がありません。意外にも日本人はすぐに壊してよく変えてしまう。その点、韓国の大都市がはるかに歴史性と人間性を守っているとみることができるでしょう」。


中村氏は「話題を呼び集めた設計で有名になった日本の建築家は何人もいるが、黙々と自分の隣の家を作っている地元の建築家がもっと多くいることを伝えたい」と語った。「風景と自然と溶け合う家」「子どもたちの夢が育つ家」「手で育てる愛着のある家」「長く共にできる家」など、家が備えるべき12種類の風景を強調する中村氏は、これに21世紀に必須のエネルギー節約の問題を追加したいと話した。

「20世紀、人類は無限大に生産が可能な量のばく大な量の化石燃料を使いながら産業化を進めていきました。21世紀はどうですか。どうしたって有限の石油生産量や気候変動などを見ると、どんなエネルギーで未来人生を作っていけば人類が生き残れるのか悩まなければならない時代が来たようです。結局、節約して代わりのものでやっていける個人レベルでの自覚と生活習慣の変化がなければ危険な状況がやって来かねません」

超高齢社会、単身世帯、第4次産業革命時代の到来などに伴う家の性格を考えながら、中村氏は自分自身がまず実験対象にならなければならないと決心して家の整理を始めたと打ち明けた。「建築家はワンルームの建築によって記憶される」という名言によって、所有物を一つずつ手放しながら「山の中に、無人島に、一人で暮らすとしたら」という仮定を立ててどのように対処するべきか悩んだ。

「私の年齢に達すればそれほど多くの物は必要ありません。可能な限り捨て、小さくし、絶対に必要なものだけ数を決めておきました。例えば本はぴったり100冊に圧縮したところ、本屋に行くと一冊買うために何度も迷うことになったのです」

中村氏は「私は普段、心安らかに楽しく過ごしている方だが、最近は腹が立ち心がざわついている」と語った。2011年の東日本大震災の痛みが相変わらず残っているのに、それから10年も経たない時点で、政府は2020年夏のオリンピックを開催すると言って国民に苦労を強いているというのだ。中村氏は建築を志す若者たちに「五感を思いっきりオープンにして現場に立ち、空気を吸い込んで土地を踏み、手で触ってスケッチする、自分だけのものを作りなさい」と助言した。



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