ことし6月、この「時視各角」に『康京和はオルブライトになれるか』というコラムを書いた。(※日本語版での翻訳記事はなし。)70年の韓国外交部史上初の女性長官になった康京和が米国初の女性国務長官、マデレーン・オルブライト(80)のように活躍することを期待する気持ちだった。オルブライトは各調査で「最高の国務長官」に挙げられている。偶然にも就任100日となる先月25日、康長官はワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)が主催する討論会に招かれてオルブライトと対面した。司会は駐韓大使として有力視されているビクター・チャCSIS韓国部長。なかなか見ることのできない光景だった。だが、結論から言うと、主人公はオルブライトだった。内面からは自信があふれ、ユーモアにはキレがあった。康長官には申し訳ないが、その差は大きかった。記憶に残ったいくつかの言葉をここに書き留めておきたい。
まず挨拶の言葉。「康長官本人はご存知ないだろうが、(康長官が)私を救ってくれたことがある。(2000年に訪朝して)金正日(キム・ジョンイル)と夕食を共にしていた時、突然彼が『金大中(キム・デジュン)大統領の通訳者と比較して私の通訳者のレベルはどうか』と聞いてきた。私は『もし間違って答えたらこの通訳者が死ぬ可能性もある』という考えがよぎった。それで悩んだ末、私は『金大中の通訳者(康京和)は女性通訳者としては、私が今まで会った中で最高』と答えた(金正日の通訳者は男性だった)」。
米朝間の「言葉の爆弾」攻防については、北朝鮮と米国に核心をついた警告を送った。「国連で演説した北朝鮮代表に感謝したい。彼は私を40年若く感じさせてくれた。彼の演説は(40年前)冷戦時代にしか出てこないような演説だったから」、「われわれ(米国)はこの時点でレトリック(修辞)を増やす時ではない。実際に何かをしなければ」。
「失策」も正直に告白した。「デニス・ロッドマン(元米プロバスケット選手)のことはすべて私の誤りだ。(2000年訪朝当時)金正日についてわれわれが唯一把握していたのはバスケットボールとマイケル・ジョーダンが好きだということだった。ところで(ジョーダンが訪朝を拒否したため)ロッドマンとジョーダンのサインが入ったバスケットボールを持って行った」。うっかり「代打」としてロッドマンを連れていったが、その後彼が金正恩(キム・ジョンウン)の友人であり親北朝鮮人物となって、物議をかもしていることに対する悔恨だった。北朝鮮問題で、信念を持たず当座しのぎで行動すると、あとあと後悔することになりかねないというアドバイスでもあった。
オルブライトは、女性としての康長官に対する激励で締めくくった。「私が国連大使として働いていた時(米国連代表部職員)、138人中6人しか女性はいなかった。彼女たちを我が家に招き、私たちは『G7(主要7カ国)』を自称した」「私が国務長官になると国務省内では『カープール(相乗り)ママ』として知られていた私が長官になったことが理解できない人もいた。だが、USAという大きな英字が刻まれた飛行機に乗って各国を訪れ、外交政策を論じるためには私に会わなければならないという事実に皆が気づくようにになった」。女性偏見の壁を越えるためには、結局自力で勝負をかけて克服するしかないという冷厳な現実をオルブライトは自身の経験談を通じて康長官に叩き込んだ。
就任初盤、顔色を伺っていた外交部の官僚がそろそろ康長官をコントロールし、孤立させようと動いているとの声が聞こえてくる。康長官が意欲的に推進していた「外交部革新ロードマップ」も地味に終わった。相次ぐ局長級幹部や新任駐中大使の突発言動にも長官は対応できていない。再びオルブライト。彼女は自叙伝で「偶然というのは蓄積された必然の結果」と述べた。偶然のように見えるかもしれないが、結果はいつも苦悩・挑戦・努力したものと同じだけ出現するようになっているということだ。就任から100日余り。まだ康長官の「必然」ははっきりと見えない。「韓国のオルブライト」はやはり何もしなくてもなれるものではない。
金玄基(キム・ヒョンギ)/ワシントン総局長
まず挨拶の言葉。「康長官本人はご存知ないだろうが、(康長官が)私を救ってくれたことがある。(2000年に訪朝して)金正日(キム・ジョンイル)と夕食を共にしていた時、突然彼が『金大中(キム・デジュン)大統領の通訳者と比較して私の通訳者のレベルはどうか』と聞いてきた。私は『もし間違って答えたらこの通訳者が死ぬ可能性もある』という考えがよぎった。それで悩んだ末、私は『金大中の通訳者(康京和)は女性通訳者としては、私が今まで会った中で最高』と答えた(金正日の通訳者は男性だった)」。
米朝間の「言葉の爆弾」攻防については、北朝鮮と米国に核心をついた警告を送った。「国連で演説した北朝鮮代表に感謝したい。彼は私を40年若く感じさせてくれた。彼の演説は(40年前)冷戦時代にしか出てこないような演説だったから」、「われわれ(米国)はこの時点でレトリック(修辞)を増やす時ではない。実際に何かをしなければ」。
「失策」も正直に告白した。「デニス・ロッドマン(元米プロバスケット選手)のことはすべて私の誤りだ。(2000年訪朝当時)金正日についてわれわれが唯一把握していたのはバスケットボールとマイケル・ジョーダンが好きだということだった。ところで(ジョーダンが訪朝を拒否したため)ロッドマンとジョーダンのサインが入ったバスケットボールを持って行った」。うっかり「代打」としてロッドマンを連れていったが、その後彼が金正恩(キム・ジョンウン)の友人であり親北朝鮮人物となって、物議をかもしていることに対する悔恨だった。北朝鮮問題で、信念を持たず当座しのぎで行動すると、あとあと後悔することになりかねないというアドバイスでもあった。
オルブライトは、女性としての康長官に対する激励で締めくくった。「私が国連大使として働いていた時(米国連代表部職員)、138人中6人しか女性はいなかった。彼女たちを我が家に招き、私たちは『G7(主要7カ国)』を自称した」「私が国務長官になると国務省内では『カープール(相乗り)ママ』として知られていた私が長官になったことが理解できない人もいた。だが、USAという大きな英字が刻まれた飛行機に乗って各国を訪れ、外交政策を論じるためには私に会わなければならないという事実に皆が気づくようにになった」。女性偏見の壁を越えるためには、結局自力で勝負をかけて克服するしかないという冷厳な現実をオルブライトは自身の経験談を通じて康長官に叩き込んだ。
就任初盤、顔色を伺っていた外交部の官僚がそろそろ康長官をコントロールし、孤立させようと動いているとの声が聞こえてくる。康長官が意欲的に推進していた「外交部革新ロードマップ」も地味に終わった。相次ぐ局長級幹部や新任駐中大使の突発言動にも長官は対応できていない。再びオルブライト。彼女は自叙伝で「偶然というのは蓄積された必然の結果」と述べた。偶然のように見えるかもしれないが、結果はいつも苦悩・挑戦・努力したものと同じだけ出現するようになっているということだ。就任から100日余り。まだ康長官の「必然」ははっきりと見えない。「韓国のオルブライト」はやはり何もしなくてもなれるものではない。
金玄基(キム・ヒョンギ)/ワシントン総局長
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