日露戦争中だった1905年、鬱陵島近海に沈没したロシアの巡洋艦「ドミートリー・ドンスコイ」。(写真=中央フォト)
ロシアの戦争英雄ドミートリー・ドンスコイ大公(1350~1389)の名前がつけられた艦艇は、1905年5月29日、日本艦隊の包囲を突き抜けてウラジオストクへ向かっていた途中、鬱陵島沖70キロメートルの海上で再び包囲された。当時のドンスコイ艦長は船を日本海軍には渡せないと判断した。艦長は鬱陵島東側沖に最大限艦艇を移動させた後、160人余りの乗組員に浜辺に行くよう命じて排水板を開いて船をわざと沈没させた。
ドンスコイが「宝船」と呼ばれている理由は、当時ロシアのバルト艦隊が相当量の金貨・金塊・骨董品を船舶に乗せていたことが知られているためだ。当時、艦隊は技術的な限界のため、燃料や飲料水・補給品などを中間の港で購入しながら遠距離を航海をした。加えて将兵にも賃金を支払う必要があったため艦艇に金貨・金塊などを積載していたという。
112年前に沈没した「宝船」のことが再び注目されることになったのは、韓国の建設業者SHINIL GUANGCAIグループがドンスコイの引き揚げ事業に進出したためだ。同社はドンスコイの引き揚げ事業を会社のビジョンにも掲げて紹介している。同グループは最近、自社ホームページを通じて「ドンスコイは海洋水産部もその存在を認めている実存する宝船だ。必ず宝船ドンスコイを引き揚げて世の中にその存在を知らしめたい」と主張した。
SHINIL GUANGCAIグループ側は「ドンスコイは1999年に東亜グループが事業費70億ウォンのうち27億ウォンを投じて探査し、鬱陵島沖で発見した」とし「金塊と金貨がないなら、当時ロシア政府が所有権を主張することも、主張する理由もなかった。金塊と金貨が本当に存在するから所有権を主張した」と説明した。
韓国企業、日露戦争当時沈没した宝船の引き上げを推進(2)
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