戦争記念館「遊就館」に展示されたゼロ戦を観覧客が見ている。
自殺特攻隊を称える特攻隊員の銅像も神社内に位置している。
民間人30万人の命を奪った「南京虐殺」は日本軍の治安維持のための活動と描写されていた。「当時民間人の服を着た敗残兵などにより無秩序だった南京市を日本軍が包囲するとすぐに平和が訪れた」という形で説明していた。どこにも民間人を殺したという言葉はなかった。
さらに太平洋戦争後のアジア各国の独立に対しては「日本軍の輝かしい勝利以後」だったと主張していた。戦争がアジア解放のための戦争だったことを間接的に示しているものだ。
こうした歴史歪曲は展示館後半部、戦後東京で開かれた極東国際軍事裁判を紹介する部分で絶頂に達した。東京裁判に参加した11カ国の判事のうち、唯一戦犯全員に無罪の意見を出したインドのラダ・ビノード・パール判事の発言を大きく取り上げた。
◇「東京裁判は日本に対する野蛮な復讐」
「『日本が犯罪を犯した』『日本は侵略の暴挙をした』などのゆがんだ罪悪観を背負って卑屈、退廃に流れるのを私はただ見ていることはできない。誤った歴史は書き換えなければならない」。
A級戦犯を神として祀っている靖国神社と彼らを称賛する遊就館の意図がこの2つの文章に帰結される瞬間だった。これでも足りず遊就館前には彼を称賛する顕彰碑も設置されていた。碑石には「東京裁判が連合国の敗戦国日本に対する野蛮な復讐の儀式にすぎないことを看破し…博士(パール判事)の裁定は今や文明世界の国際法学界における定説と認められた」と書かれていた。
パール判事は日帝の「大東亜共栄圏」に賛同し、インド国内でも親日派として非難された人物だ。中里成章東京大学教授は著書で「1960年代以降に戦犯と戦争指導者の復権のために日本社会がパール判事の存在を神話化した」と評価した。
靖国神社のどこにも戦争と侵略の歴史に対する反省と懺悔の跡はなかった。むしろこれを正当化することによりまだ周辺国の国民に「第2の加害」を継続していた。展示館を見たあるカナダ人は「歴史を通じて失敗を繰り返してはならないということを日本がわかっているのかわからない」と話した。
戦犯全員に無罪意見、インド判事の顕彰碑まで建てた日本(1)
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