軍艦島徴用生存者であるイ・イヌさんが9日、大邱の自宅で地下1000メートルの坑道に入って石炭を掘っていた当時の状況を説明している。
9日午後、大邱の自宅で会ったイさんは72年前に生き返ってきた瞬間を思い浮かべた。彼は慶北慶山郡(キョンブク・キョンサングン)安心面司福洞(アンシンミョン・サボクドン)41番地(現在の大邱東区)で7兄弟姉妹の長男として生まれた。父は貧しい農民だった。3年間小学校に通ったのが学歴の全部だった18歳の少年は貧乏な環境にうんざりした。「村役場を退職した公務員たちが報国隊(日帝が朝鮮人学生、女性と農村労働力を動員するために1938年組織した団体)を募集した。工場で働けば家に仕送りをすることができると。その時は家計を支えたいと思っていた。40人ぐらいが集まって一緒に列車に乗って釜山に向かった。私のように皆貧しい人々だった。日本の三菱工場で働くと思って…」
1944年5月、イさんは釜山で貨物船に乗った。400人以上の人々が床に座って吐きながら波を耐えた。7日間船に乗って到着したところは日本本土ではなかった。サハリン。夏から冬までサハリン炭鉱で働いた。大邱で育った彼が零下40度の寒さを耐えるのは簡単ではなかったが、それは悪夢の始まりに過ぎなかった。
92歳の軍艦島生存者「海底1000メートル坑道、殴打は日常だった」(2)