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水底1000メートルで窒息死・圧死…日本軍艦島は「地獄島」そのもの(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

九州のある炭鉱合宿所の中で韓国人強制徴用者が残した言葉。「お腹がすいた」「故郷に帰りたい」などと記されている。(写真提供=韓国近現代史辞典)

軍艦島にも韓国人徴用者がいた。韓国人が初めて流入したのは1917年と推定され、37年の日中戦争後、その数は大きく膨らんだ。生存者の証言によると、1943年から45年間約800人の韓国人が働いていたものと推定される。彼らは非人間的な環境で苦痛を受けた。海水面1000メートルの深さの海底炭鉱で、最も危険な採掘場所に配置されることが常だった。高さが50~60センチにしかならないほどの狭苦しい空間で、横になった姿勢で石炭を掘ったという。摂氏40度を越える炭鉱には海水が入り込み、坑内はガスが埋まって爆発の危険も高かった。トイレもない空間で労働者たちは一日2交代で12時間以上働いた。ちゃんとした食事も提供されなかった。

このような劣悪な環境で病気になったり炭坑事故や栄養失調で死亡したりする人々が多かった。逃亡を試みたが溺死する場合もあった。1986年、日本の市民団体が発見した当時の死亡診断書によると、韓国人122人が事故死・窒息死・圧死などの理由で死亡した。

2014年、日本は軍艦島など九州一帯の23カ所の施設を世界文化遺産として登録するためにユネスコに申請した。申請理由として、日本は「西洋から非西洋への産業化の移転が成功し」、「19世紀後半から20世紀の初頭にかけ、日本は工業立国の土台を構築し、後に日本の基幹産業となる造船,製鉄・製鋼,石炭と重工業において急速な産業化を成し遂げた」と提示している。


このうち軍艦島や長崎造船所など7カ所の施設は韓国人数万人が強制動員された場所だ。当時、日本は世界文化遺産の登録期間を1850年から1910年までに限定しようとしたが、これについて「朝鮮を強制併合した時期を除外して議論を避けようとする意図との批判が出た。韓国・中国だけでなく、各国の歴史学者も批判した。世界歴史学者の共同声明を主導した米国コネチカット大のアレクシス・ダデン教授は「日本は韓国人強制徴用があったという事実も記録しなければならない」と主張した。

2015年7月、ドイツ・ボンで開かれた世界遺産委員会はこれら施設の世界文化遺産を最終登録する決定文に「各施設の歴史全体が分かるように」という国際記念物遺跡協議会(ICOMOS、イコモス)の勧告を明示した。

当時、日本側代表も「韓国人らの意思に反して苛酷な条件で労役をしたという事実を理解できるようにする」と明らかにした。だが、登録以降、日本政府は「(世界遺産委員会が)強制労役を認めたわけではない」(菅義偉官房長官)という立場を明らかにした。現在、観光地として活用中の軍艦島のどんな案内板にも強制徴用の事実を明らかにする文面は見当たらない。

日本は依然として「記憶したい部分」だけを見せようと必死だ。近代化・産業化の様子だけを強調して、その過程で行った暴力や収奪の記憶は消そうと努める。「日本軍慰安婦」問題も同じだ。このような両面的な態度は正しい歴史意識ということはできない。「許すことはできる。だが、忘れることはできない」という言葉のように、真の平和と寛容は忘却でなく記憶から始まる。

◆ユネスコ世界文化遺産 軍艦島

「歴史的事実に基づいた映画」(韓国)、「ねつ造された映画」(日本)。今月末に公開予定のある映画をめぐり、韓日両国の間で見解が克明に分かれている。同映画は日帝強占期、長崎港にほど近い軍艦島を舞台に「韓国人強制徴用」という辛い歴史を扱っている。日本のある市民団体によると、軍艦島の地下炭鉱で事故死・窒息死・圧死した韓国人強制徴用者は122人にのぼる。少なくとも800人の韓国人が強制徴用で軍艦島に連られたことが推定される。軍艦島は2年前、ユネスコ世界文化遺産に登録された。日本は「産業化の遺産」と主張する。あわせて「強制徴用はなかった」と明らかな嘘をついている。このように日本の歴史わい曲妄言は相変わらずだ。



水底1000メートルで窒息死・圧死…日本軍艦島は「地獄島」そのもの(1)

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