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【コラム】文在寅大統領が「雇用大統領」として記憶されるには

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
何年か前に退任する韓国銀行金融通貨委員に所感を尋ねると、「金利を一度も上げられずに離れるのが残念だ」という答が返ってきた。意外だった。当時の経済状況で金利引き上げは考えることすらできないことだったためだ。むしろ景気浮揚のために金利をさらに下げるべきという要求が激しかった。だから上げなければならない時に上げられなかったという悔恨ではなかった。それよりは韓国銀行内で後々まで「金利も一度も上げられなかった金融通貨委員」として記憶されることに困惑したのだろう。来年3月までが任期である李柱烈(イ・ジュヨル)総裁が最近金利引き上げのシグナルを送り出したのにはおそらくそうした焦燥感も一役買っているだろう。


金利は下げるのは簡単でも再び上げるのは非常に難しい。適切なタイミングをつかむ判断力はもちろん、利害関係者などの反発と政界の圧力を突き抜けて実行に移す果敢さが同時に必要だ。「インフレファイター」と呼ばれるポール・ボルカーが米連邦準備制度理事会(FRB)100年の歴史上最高の首長に選ばれるのはそのためだ。彼は1970年代末に物価が2桁台で上昇すると金利を20%まで上げる強硬手段を取った。金利急騰に驚いた農夫がトラクターに乗ってFRBの建物を取り囲み、建設業者は前庭に建設資材を積み上げ圧迫したが彼は屈しなかった。こうした戦争のような状況を経て物価はようやく落ち着き始め、80年代のレーガン時代の好況もその土台の上でなされた。




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