尹義士は中国人にも大きな衝撃を与えた。中国国民党を率いた蒋介石(1887-1975)がそうだ。義挙の直後、「中国の100万の大軍もできないことを朝鮮の一人の青年がしたのだから感激だ」と述べた。尹義士に対する感謝から中国にあった大韓民国臨時政府を全幅支援したりもした。このような流れは1943年12月に韓国の独立が国際的に初めて合意されたカイロ宣言まで続いた。尹義士と中国の縁は今でも続いている。尹義士の故郷の忠清南道礼山郡(イェサングン)で毎年開催される「尹奉吉平和祭り」に中国は8年連続で参加している。29、30日の2日間行われる今年の祭りにも、ハルビン安重根記念館、ハルビン731部隊罪証陣列館の関係者ら4人が訪れる。細菌マルタ部隊など日帝の蛮行を説明し、北東アジア平和音楽祭など付帯行事にも参加する予定だ。
しかし今年は少し違う。何よりも訪韓団規模が以前の半分ほどに減った。昨年は大韓民国臨時政府所在地の上海・杭州・重慶記念館、安重根義士が殉国した旅順監獄の関係者など約10人が訪問した。その前も状況は似ていた。韓国のTHAAD(高高度防衛ミサイル)配備決定に対する中国側の反発という声が聞こえる。
しかし今年は少し違う。何よりも訪韓団規模が以前の半分ほどに減った。昨年は大韓民国臨時政府所在地の上海・杭州・重慶記念館、安重根義士が殉国した旅順監獄の関係者など約10人が訪問した。その前も状況は似ていた。韓国のTHAAD(高高度防衛ミサイル)配備決定に対する中国側の反発という声が聞こえる。
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