1980年代まで炭鉱都市で有名だった夕張市の鉱山はすべて閉山した。(写真=dosankoホームページ)
2011年に当時30歳で最年少市長に当選した鈴木直道夕張市長。
夕張市はなぜ破綻したのだろうか。今後再生できるだろうか。先月フォーリンプレスセンターの協力で鈴木直道市長(36)に会った。埼玉県出身の彼は30歳だった2011年4月に全国最年少市長に当選した。1999年に高校卒業後東京都庁に入り大学教育を終えた後2008年に夕張市に派遣勤務をしながら縁を結んだ。
――夕張市の財政はなぜ破綻したのか。
「夕張は石炭都市として栄えた。60年には人口11万6000人で北海道で7位になった。そのうちにエネルギー政策が値段の安い海外石炭輸入と石油にシフトしていき、24カ所あった炭鉱が90年を最後に完全に閉山した。その後炭鉱会社が持っていた住宅、病院、上下水道、発電施設などさまざまなインフラを市が買収するだけで584億円もかかった」
――炭鉱閉鎖後に市の自助策はなかったのか。
「政策を『炭鉱から観光へ』に変えた。80年代には遊園地を含めたアミューズメントパークも開発し年間数十万人が訪問する効果があった。90年には政策転換が立派だとして当時の自治相(現総務相)から表彰も受けた。他の自治体に夕張に習えというものだった。だがうまくいったのは一時的で、観光政策も難しくなった。それでも炭鉱の失業者を受け入れられる観光に対する積極的な投資を止めることもできなかった。ここに市で民間の粉飾決算のようなものがあった。数年間赤字を黒字として処理し、赤字額が年間標準財政規模(当時44億円)の約8倍になった。自主的に再建できない水準だった」
――当時バブル経済崩壊で夕張市のほかにも財政が良くない自治体があったが。
「夕張は借入金規模があまりに大きかった。夕張の次に赤字額が大きな自治体でも財政規模の1.3倍水準だった。夕張市は税収が約8億円なのに毎年26億円を返している。夕張の返済期間は前例のない長期間だが短期間でもある。通常80年かかる規模を20年でするのだ。『ミッションインポッシブル』だった」
1年に26億円の負債返済…夕張市の「ミッションインポッシブル」(2)
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