韓国政府の関係者は最近、日本財務省(旧大蔵省)の官僚に会った席で顔が赤くなる経験をした。財務省の官僚は対話の途中、「財務部、いや、財政経済部、企画財政部? 今の名称は何ですか」と尋ねた。韓国の企画財政部という部処の名称が頭の中で混乱していたのだ。言葉と表情から見て悪気はなかった。財務省の官僚は「何度か変わっているので…」と言って言葉を濁した。議席数基準で第1党の共に民主党が企画財政部をまた2つに分ける案を出していると伝えると、「今後、我々のカウンターパートナーはどこになるのですか」と困惑した表情を見せた。韓国政府の関係者は「約50年間に一度だけ組織が変わった日本財務省の官僚が、政権が交代するたびに分離と統合を繰り返してきた韓国企画財政部をおかしいと思っているようできまり悪かった」と語った。
◆16年間変わらない日本の政府組織
日本の大蔵省の前身は明治維新があった1868年、政府資金調達機関の金穀出納所だ。翌年、2官6省制に政府組織が変更し、「大蔵省」という名前がついた。初めて内閣制が始まった1885年の大蔵省は歳入・歳出、租税、国債、造幣、銀行まで担当する巨大な組織として構成された。
第2次世界大戦後には連合軍最高司令部(GHQ)によって日本の政府組織も大きく変わった。陸軍省と海軍省が消え、内務省も解体された。しかし大蔵省は全く変わらなかった。連合軍行政の「協力者」と認められたからだ。1947年に現在の内閣制が憲法に反映された後にも大蔵省に変化はなかった。その後50余年間、大蔵省は「省の中の省」、大蔵省公務員は「官僚の中の官僚」と呼ばれた。
2001年の中央省庁再編で、大蔵省は予算と税制だけを担当する財務省に縮小され、金融政策および監督業務は金融庁に分離された。しかし依然として金融担当大臣を財務相の麻生太郎副総理が兼ねていて根本的には変わっていないというのが日本官界の解釈だ。
財務省は2000年以降、財政健全化を最優先目標の一つとして推進している。2009年に自民党から民主党、2012年にまた自民党に政権が交代したが、一貫している。安倍政権も「2020年の基礎的財政収支黒字」を目標にしている。李鍾元(イ・ジョンウォン)早稲田大国際政治学科教授は「財務省の組織がそのまま維持され、自然に政策の連続性が保障されている」と話した。
他の省庁も2001年の改編から16年間そのままの1府13省庁制だ。2011年の東日本大震災後に10年間の時限組織として新設された復興庁が唯一の変化といえば変化だ。「日本は議院内閣制を採択していて政府の組織に手をつけない」(ユン・ミンホ日本国際金融情報センター研究委員室長)という分析もある。
◆分離・統合を繰り返す韓国企画財政部
日本の大蔵省と違って韓国の企画財政部は政権が代わるたびに分離と統合をを繰り返した。企画財政部の根は税制・金融政策を担当した財務部と政策企画・調整、予算を担当した経済企画院だ。金泳三(キム・ヨンサム)政権当時の1994年、財務部と企画院は財政経済院に統合された。4年後、金大中(キム・デジュン)政権でまた財政経済院を財政経済部、企画予算処、金融監視委員会に分離した。現在の体制が維持されたのは李明博(イ・ミョンバク)政権当時の2008年からだ。企画財政部は最近の20余年間、5回の組織改編があった。
別の部処も事情は似ている。国土交通部は「文民政府」と呼ばれる金泳三政権以降に7回も名称が変わり、そのたびに組織改編があった。官界では「部処が生き残ろうとすれば名称を3文字にしなければいけない」という冗談まで広まっている。過去の数回の組織改編でも生き残った部処が統一部、国防部、法務部、環境部など3文字の名称を持つためだ。
経済部処の分離・統合過程が続き、経済学でいう「メニュー費用」(飲食店でメニューを変える場合、メニュー制作費だけでなくカタログ交換費、価格改定による消費者離脱など付帯費用が発生すること)のように各種費用が発生しているという指摘もある。政策の一貫性の低下、組織改編による税金浪費、未来の不確実性による組織員の業務意欲低下など非効率が表れているということだ。
多数の官僚も頻繁な組織改編によるストレスを訴える。企画財政部のある局長は「現構造の短所や補完する点があれば改善案を見つけて組織の競争力を高めるのが先」とし「政権が交代するからといって組織改編を当然だと考えるのはナンセンス」と指摘した。
◆16年間変わらない日本の政府組織
日本の大蔵省の前身は明治維新があった1868年、政府資金調達機関の金穀出納所だ。翌年、2官6省制に政府組織が変更し、「大蔵省」という名前がついた。初めて内閣制が始まった1885年の大蔵省は歳入・歳出、租税、国債、造幣、銀行まで担当する巨大な組織として構成された。
第2次世界大戦後には連合軍最高司令部(GHQ)によって日本の政府組織も大きく変わった。陸軍省と海軍省が消え、内務省も解体された。しかし大蔵省は全く変わらなかった。連合軍行政の「協力者」と認められたからだ。1947年に現在の内閣制が憲法に反映された後にも大蔵省に変化はなかった。その後50余年間、大蔵省は「省の中の省」、大蔵省公務員は「官僚の中の官僚」と呼ばれた。
2001年の中央省庁再編で、大蔵省は予算と税制だけを担当する財務省に縮小され、金融政策および監督業務は金融庁に分離された。しかし依然として金融担当大臣を財務相の麻生太郎副総理が兼ねていて根本的には変わっていないというのが日本官界の解釈だ。
財務省は2000年以降、財政健全化を最優先目標の一つとして推進している。2009年に自民党から民主党、2012年にまた自民党に政権が交代したが、一貫している。安倍政権も「2020年の基礎的財政収支黒字」を目標にしている。李鍾元(イ・ジョンウォン)早稲田大国際政治学科教授は「財務省の組織がそのまま維持され、自然に政策の連続性が保障されている」と話した。
他の省庁も2001年の改編から16年間そのままの1府13省庁制だ。2011年の東日本大震災後に10年間の時限組織として新設された復興庁が唯一の変化といえば変化だ。「日本は議院内閣制を採択していて政府の組織に手をつけない」(ユン・ミンホ日本国際金融情報センター研究委員室長)という分析もある。
◆分離・統合を繰り返す韓国企画財政部
日本の大蔵省と違って韓国の企画財政部は政権が代わるたびに分離と統合をを繰り返した。企画財政部の根は税制・金融政策を担当した財務部と政策企画・調整、予算を担当した経済企画院だ。金泳三(キム・ヨンサム)政権当時の1994年、財務部と企画院は財政経済院に統合された。4年後、金大中(キム・デジュン)政権でまた財政経済院を財政経済部、企画予算処、金融監視委員会に分離した。現在の体制が維持されたのは李明博(イ・ミョンバク)政権当時の2008年からだ。企画財政部は最近の20余年間、5回の組織改編があった。
別の部処も事情は似ている。国土交通部は「文民政府」と呼ばれる金泳三政権以降に7回も名称が変わり、そのたびに組織改編があった。官界では「部処が生き残ろうとすれば名称を3文字にしなければいけない」という冗談まで広まっている。過去の数回の組織改編でも生き残った部処が統一部、国防部、法務部、環境部など3文字の名称を持つためだ。
経済部処の分離・統合過程が続き、経済学でいう「メニュー費用」(飲食店でメニューを変える場合、メニュー制作費だけでなくカタログ交換費、価格改定による消費者離脱など付帯費用が発生すること)のように各種費用が発生しているという指摘もある。政策の一貫性の低下、組織改編による税金浪費、未来の不確実性による組織員の業務意欲低下など非効率が表れているということだ。
多数の官僚も頻繁な組織改編によるストレスを訴える。企画財政部のある局長は「現構造の短所や補完する点があれば改善案を見つけて組織の競争力を高めるのが先」とし「政権が交代するからといって組織改編を当然だと考えるのはナンセンス」と指摘した。
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