腐敗しているか、権力にハマっているか。最近、韓国映画の中で「検事」のキャラクターは二つのうちどちらかだ。公開して6日で観客200万人を突破した映画『ザ・キング』(原題、ハン・ジェリム監督)には自らを世の中の“王様”と考えて政権を牛耳る“政治検事”が登場する。「所信?自尊心や正義、ダサいからそんなものは捨てよう。ただ、権力にくっついてろ」という台詞で代表される部長検事ハン・ガンシク(チョン・ウソン扮)。彼は思うがままに政権を創り出すために設計する人物であり、後輩検事のパク・テス(チョ・インソン扮)につながる悪の年代記の頂点に立っている人物だ。彼らの権力に向かったゆがんだ欲望は想像を絶する。
大韓民国「悪の地獄図」を描いた『アシュラ』(2016、キム・ソンス監督)のキム・チャイン(クァク・ドウォン扮)検事はどうだろうか。彼は、捜査のためには暴力を行使して各種不法を動員する“暴力検事”だ。970万人の観客を呼び込んだ『華麗なるリベンジ』(2016、イ・イルヒョン監督)のウ・ジョンギル(イ・ソンミン扮)次長検事も政治進出のために殺人まで犯す悪者だ。再開発の強制撤去現場で起きた殺人事件を描いた『国選弁護人 ユン・ジンウォン』(2015、キム・ソンジェ監督)で検事ホン・ジェドク(キム・ウィソン扮)は、事件を隠して操作する人物で、この全てが国のためであることだと考える“確信犯”だった。『生き残るための3つの取引』(2010、リュ・スンワン監督)で俳優リュ・スンボムが扮したチュ・ヤンという人物も“スポンサー検事”の典型を描いている。昨年に公開したドキュメンタリー映画『自白』(原題、チェ・スンホ監督)にも検事が登場する。2年前、最高裁判所で無罪判決を言い渡された「ソウル市公務員スパイ事件」を暴いたこの作品は、スパイ容疑者のユ・ウソン氏を国家保安法の疑惑などで起訴した検事にマイクを当てて批判の水位を高めた。
検事キャラクターに向かった風刺や嘲弄はますます強まっているが、彼らは最初から悪者ではなかった。2010年代以前は、映画やドラマの中で正義の味方だった。ドラマ『砂時計』(原題、1995、SBS)の清廉な検事カン・ウソク(パク・サンウォン扮)がおり、映画『公共の敵2 あらたなる闘い』(2005、カン・ウソク監督)の正義なる検事カン・チョルジュン(ソル・ギョング扮)がいた。代わりに韓国映画の悪者は組織暴力団やサイコパスの連鎖殺人魔だった。この暴力性やモラル・ハザードが検事のキャラクターにそのまま反映されたように見える。『ザ・キング』でハン・ガンシク検事は組織暴力団の1人者キム・ウンス(キム・ウィソン扮)と一組のように描写される。
正義の使徒が「万人の悪者」に墜落した理由は何だろうか。検察力に絶対的に依存して力を加えたとされている朴槿恵(パク・クネ)政権と「検事悪者の誕生」は無関係ではないというのが大方の意見だ。検察の権力が肥大化するほど、国民の反感は大きくなり、それが映画で現れているということ。「崔順実(チェ・スンシル)国政壟断事件」の核心人物で検事出身である金淇春(キム・ギチュン)元青瓦台(チョンワデ、大統領府)秘書室長と禹柄宇(ウ・ビョンウ)前青瓦台民情首席が取り上げられているうえに、一連の司法不正、パワハラ検事、前官礼遇の論争が火に油を注いだ。“砂時計の検事”の実際のモデルである洪準杓(ホン・ジュンピョ)慶尚南道(キョンサンナムド)知事も昨年、あいにく政治資金法違反で1審で実刑を言い渡された。
カン・ユジョン映画評論家は「かつては社会の指導層に対する漠然とした尊敬や権威を認める雰囲気があったが、『司法エリート』が『犯罪エリート』になる数多くの事件を見守りながら、風刺や嘲弄の対象に転落した」とし、「現在、米国の場合、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2014、マーティン・スコセッシ監督)のように映画の中で悪いお金持ちが権威を失って批判を受けている一方、韓国は検事をはじめとした公権力がその対象」と分析した。また「罪を犯しても法の網をかいくぐる姿を見ながら、映画では彼らを断罪することで小市民が代理満足を感じているようだ」と付け加えた。ホ・ナムン映画評論家は「司法府を牽制・監視するマスコミがその役割を果たしておらず、検察組織に対する不満が映画やドキュメンタリーを通じて噴出しているようだ」と説明した。
もちろん、このような映画も検事全体に対する不信は警戒する。『ザ・キング』は99%の検事が誠実に正義のために働いていれば、1%の権力をにぎっている“政治検事”が問題だと強調する。現在の崔順実国政壟断事件を捜査している特検に対する国民的応援の雰囲気もこれを証明する。ホ・ナムン評論家は「検事を悪者として描いた映画はほとんどが結局正義の実現というハッピーエンドで終わるのは商業的判断もあるだろうが、検事組織がその役割を果たすことを願う観客の望みなのではないだろうか」と説明した。
大韓民国「悪の地獄図」を描いた『アシュラ』(2016、キム・ソンス監督)のキム・チャイン(クァク・ドウォン扮)検事はどうだろうか。彼は、捜査のためには暴力を行使して各種不法を動員する“暴力検事”だ。970万人の観客を呼び込んだ『華麗なるリベンジ』(2016、イ・イルヒョン監督)のウ・ジョンギル(イ・ソンミン扮)次長検事も政治進出のために殺人まで犯す悪者だ。再開発の強制撤去現場で起きた殺人事件を描いた『国選弁護人 ユン・ジンウォン』(2015、キム・ソンジェ監督)で検事ホン・ジェドク(キム・ウィソン扮)は、事件を隠して操作する人物で、この全てが国のためであることだと考える“確信犯”だった。『生き残るための3つの取引』(2010、リュ・スンワン監督)で俳優リュ・スンボムが扮したチュ・ヤンという人物も“スポンサー検事”の典型を描いている。昨年に公開したドキュメンタリー映画『自白』(原題、チェ・スンホ監督)にも検事が登場する。2年前、最高裁判所で無罪判決を言い渡された「ソウル市公務員スパイ事件」を暴いたこの作品は、スパイ容疑者のユ・ウソン氏を国家保安法の疑惑などで起訴した検事にマイクを当てて批判の水位を高めた。
検事キャラクターに向かった風刺や嘲弄はますます強まっているが、彼らは最初から悪者ではなかった。2010年代以前は、映画やドラマの中で正義の味方だった。ドラマ『砂時計』(原題、1995、SBS)の清廉な検事カン・ウソク(パク・サンウォン扮)がおり、映画『公共の敵2 あらたなる闘い』(2005、カン・ウソク監督)の正義なる検事カン・チョルジュン(ソル・ギョング扮)がいた。代わりに韓国映画の悪者は組織暴力団やサイコパスの連鎖殺人魔だった。この暴力性やモラル・ハザードが検事のキャラクターにそのまま反映されたように見える。『ザ・キング』でハン・ガンシク検事は組織暴力団の1人者キム・ウンス(キム・ウィソン扮)と一組のように描写される。
正義の使徒が「万人の悪者」に墜落した理由は何だろうか。検察力に絶対的に依存して力を加えたとされている朴槿恵(パク・クネ)政権と「検事悪者の誕生」は無関係ではないというのが大方の意見だ。検察の権力が肥大化するほど、国民の反感は大きくなり、それが映画で現れているということ。「崔順実(チェ・スンシル)国政壟断事件」の核心人物で検事出身である金淇春(キム・ギチュン)元青瓦台(チョンワデ、大統領府)秘書室長と禹柄宇(ウ・ビョンウ)前青瓦台民情首席が取り上げられているうえに、一連の司法不正、パワハラ検事、前官礼遇の論争が火に油を注いだ。“砂時計の検事”の実際のモデルである洪準杓(ホン・ジュンピョ)慶尚南道(キョンサンナムド)知事も昨年、あいにく政治資金法違反で1審で実刑を言い渡された。
カン・ユジョン映画評論家は「かつては社会の指導層に対する漠然とした尊敬や権威を認める雰囲気があったが、『司法エリート』が『犯罪エリート』になる数多くの事件を見守りながら、風刺や嘲弄の対象に転落した」とし、「現在、米国の場合、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2014、マーティン・スコセッシ監督)のように映画の中で悪いお金持ちが権威を失って批判を受けている一方、韓国は検事をはじめとした公権力がその対象」と分析した。また「罪を犯しても法の網をかいくぐる姿を見ながら、映画では彼らを断罪することで小市民が代理満足を感じているようだ」と付け加えた。ホ・ナムン映画評論家は「司法府を牽制・監視するマスコミがその役割を果たしておらず、検察組織に対する不満が映画やドキュメンタリーを通じて噴出しているようだ」と説明した。
もちろん、このような映画も検事全体に対する不信は警戒する。『ザ・キング』は99%の検事が誠実に正義のために働いていれば、1%の権力をにぎっている“政治検事”が問題だと強調する。現在の崔順実国政壟断事件を捜査している特検に対する国民的応援の雰囲気もこれを証明する。ホ・ナムン評論家は「検事を悪者として描いた映画はほとんどが結局正義の実現というハッピーエンドで終わるのは商業的判断もあるだろうが、検事組織がその役割を果たすことを願う観客の望みなのではないだろうか」と説明した。
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