「小人革面」。朴槿恵(パク・クネ)大統領弾劾案が圧倒的多数で可決された直後、思い浮かんだ言葉は残念ながらこれだった。中国の占術「周易」で、革命と変革の卦である沢火革を隠喩的に表現した「大人虎変」「君子豹変」の対となる言葉。虎変と豹変は、虎と豹が秋の毛替わりの時に退色した毛が鮮明で美しい色の毛へと変わるように、大人と君子が変革する時はっきりと目に見えるように一新するという意味だ。一方、革面は小人物が時流に乗って面の色だけを直して変わったふりをすることを言う。
少なくともセヌリ党62人の賛成票にも評価が低い理由は表決を控えて繰り広げられた「セウォル号空白の7時間」に対する駆け引きへの怒りが解けていないためだ。大統領の髪セット報道がなかったら、これによって市民の怒りが爆発しなかったら、セウォル号の7時間は弾劾案から外されたかもしれない。
髪セット報道以前のセヌリ党非朴系は、「セウォル号7時間を含めるなら、議決の定足数を確保できると確言できない」と言って野党と駆け引きをした。国民304人の命が無能な政府の対応によって虚しく沈んでしまったセウォル号に対し、大統領や青瓦台(チョンワデ、大統領府)、セヌリ党がこれまで貫いてきた態度はアレルギー反応のようなものだった。彼らはこのような状況にも「回避の習性」を再現した。国民が感じている「セウォル号7時間」の真の意味を知っていたらこんなことができただろうか。
国民が願っているのは、その7時間における大統領の整形施術あるいは服装に合わせた髪セットの演出疑惑を突き止めて揶揄することではない。果たして大統領に国民の「生命権に対する感受性と認識」があるのかを確認したいのだ。国が存在する大前提となる「憲政秩序の実現」の意味でも国家は憲法が規定した生命権の保護義務を果たさなければならない。「大統領がその時間にハンマーでも持って行って窓を叩き割り、子供たちを救えばよかったのか」と抗弁する一部極右の発言のように、直接水の中に飛び込んで救うことを言っているのではない。大統領の考えと態度は官僚に「伝染」する。そのため、憲法の守護者である大統領が国民の生命権に対して敏感に行動してこそ、官僚も努力するふりくらいはするだろうということだ。
ところが、不幸にも我々は、大統領から国民の生命尊重と保護に対する自覚と反省の余地を見出すことができなかった。かえって、その反対となる一端は多かった。「支持率の上昇局面で起きた旅客船事故の悪材料が政局をブラックホールに落とし、危機に直面させた」。2014年国家情報院が作成したという青瓦台内部文書の内容だ。国民の死どころか、大統領の支持率の上昇がここで頭打ちになったことのほうが一大事だとする認識だ。一方では、4・16セウォル号事件特別調査委員会の真相究明を妨げ、歪めようとしてきた数多くの場面もある。
朴槿恵政権が発足して4年も経たない期間の間、我々は果たしてこの政府が国民の生命権保護に対する責任を感じているのか、数々の疑問を抱いてきた。「人が負傷したり死亡したりしたからといって無条件に謝罪するのは適切でない」。姜信明(カン・シンミョン)前警察庁長官が聴聞会で、デモの途中に水大砲を浴びて命を失った農民ペク・ナムギさんについて述べた言葉だ。国民の命と安全を守るという義務感はあると信じていた警察のトップさえ「国民の命も選別的に守る」という生命軽視の風潮が伝染していた。昨年、MERS事態の時は、政府の無能さを隠すための秘密主義で国民の安全と安心が脅かされ、繰り返される事故にも“今後は…”という修辞だけが飛び交っている。我々は一線の官僚組織まで「生命軽視の風潮」が一様に広まっていった出発点に「セウォル号7時間」があるという疑問を持っている。そのため、その真相を必ず突き止めようとするのだ。後々の反面教師にするためにも。
大統領の国政壟断、不正腐敗、生命権保護の義務に背を向けた嫌疑は特検と憲法裁判所が断罪してくれるだろうと期待している。ろうそく政局によってせめてもの政界の「ゾンビ勢力」の実体がある程度は明るみに出たのも幸いだ。ただ、問題は一つ残っている。革面して豹変したふりをするずるがしこい群れを牽制すること。与野党の政治家、官僚を問わずの話だ。
ヤン・ソンヒ 論説委員
少なくともセヌリ党62人の賛成票にも評価が低い理由は表決を控えて繰り広げられた「セウォル号空白の7時間」に対する駆け引きへの怒りが解けていないためだ。大統領の髪セット報道がなかったら、これによって市民の怒りが爆発しなかったら、セウォル号の7時間は弾劾案から外されたかもしれない。
髪セット報道以前のセヌリ党非朴系は、「セウォル号7時間を含めるなら、議決の定足数を確保できると確言できない」と言って野党と駆け引きをした。国民304人の命が無能な政府の対応によって虚しく沈んでしまったセウォル号に対し、大統領や青瓦台(チョンワデ、大統領府)、セヌリ党がこれまで貫いてきた態度はアレルギー反応のようなものだった。彼らはこのような状況にも「回避の習性」を再現した。国民が感じている「セウォル号7時間」の真の意味を知っていたらこんなことができただろうか。
国民が願っているのは、その7時間における大統領の整形施術あるいは服装に合わせた髪セットの演出疑惑を突き止めて揶揄することではない。果たして大統領に国民の「生命権に対する感受性と認識」があるのかを確認したいのだ。国が存在する大前提となる「憲政秩序の実現」の意味でも国家は憲法が規定した生命権の保護義務を果たさなければならない。「大統領がその時間にハンマーでも持って行って窓を叩き割り、子供たちを救えばよかったのか」と抗弁する一部極右の発言のように、直接水の中に飛び込んで救うことを言っているのではない。大統領の考えと態度は官僚に「伝染」する。そのため、憲法の守護者である大統領が国民の生命権に対して敏感に行動してこそ、官僚も努力するふりくらいはするだろうということだ。
ところが、不幸にも我々は、大統領から国民の生命尊重と保護に対する自覚と反省の余地を見出すことができなかった。かえって、その反対となる一端は多かった。「支持率の上昇局面で起きた旅客船事故の悪材料が政局をブラックホールに落とし、危機に直面させた」。2014年国家情報院が作成したという青瓦台内部文書の内容だ。国民の死どころか、大統領の支持率の上昇がここで頭打ちになったことのほうが一大事だとする認識だ。一方では、4・16セウォル号事件特別調査委員会の真相究明を妨げ、歪めようとしてきた数多くの場面もある。
朴槿恵政権が発足して4年も経たない期間の間、我々は果たしてこの政府が国民の生命権保護に対する責任を感じているのか、数々の疑問を抱いてきた。「人が負傷したり死亡したりしたからといって無条件に謝罪するのは適切でない」。姜信明(カン・シンミョン)前警察庁長官が聴聞会で、デモの途中に水大砲を浴びて命を失った農民ペク・ナムギさんについて述べた言葉だ。国民の命と安全を守るという義務感はあると信じていた警察のトップさえ「国民の命も選別的に守る」という生命軽視の風潮が伝染していた。昨年、MERS事態の時は、政府の無能さを隠すための秘密主義で国民の安全と安心が脅かされ、繰り返される事故にも“今後は…”という修辞だけが飛び交っている。我々は一線の官僚組織まで「生命軽視の風潮」が一様に広まっていった出発点に「セウォル号7時間」があるという疑問を持っている。そのため、その真相を必ず突き止めようとするのだ。後々の反面教師にするためにも。
大統領の国政壟断、不正腐敗、生命権保護の義務に背を向けた嫌疑は特検と憲法裁判所が断罪してくれるだろうと期待している。ろうそく政局によってせめてもの政界の「ゾンビ勢力」の実体がある程度は明るみに出たのも幸いだ。ただ、問題は一つ残っている。革面して豹変したふりをするずるがしこい群れを牽制すること。与野党の政治家、官僚を問わずの話だ。
ヤン・ソンヒ 論説委員
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