崔順実(チェ・スンシル)国政壟断事態に関連し、金淇春(キム・ギチュン)前大統領秘書室長(2013年8月-2015年2月)に各種疑惑が提起されている。その間、メディアとの接触を避けてきた金前室長は中央日報の電話インタビューで疑惑をほとんど否認した。「セウォル号7時間」に関しては「女性大統領なので(施術を受けたかどうかなどについて)率直に尋ねることはできなかった」と明らかにした。
--崔太敏(チェ・テミン)氏を知ったのはいつからか。
「中央情報部第5局長(対共捜査局長)在職当時の1974年、隣の第6局(国内保安局)が崔太敏氏関連の不正を調査した。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領に報告するためだったが、当時に彼の存在を知った。私が崔太敏氏と接触したことはない。私が87年に育英財団紛糾を解決するといって財団の崔太敏氏側に何度か会ったというのも全く事実でない」
--87年の金前室長と崔順実被告の関係が疑惑の対象になっている。
「2007年に私は朴槿恵(パク・クネ)大統領候補陣営に入ったが、その時も存在を知らなかった。実際、朴槿恵大統領は当時から崔順実の話を私にしたことがない。2006年9月に朴槿恵候補と私がドイツを訪問した当時に崔順実が同行したというが、来ていたのか知らなかった。当時、崔ギョン煥(チェ・ギョンファン)議員、李貞鉉(イ・ジョンヒョン)議員、記者10人ほどが一緒に行ったが、知らなかった。今回の事件が起きて崔順実、(娘の)チョン・ユラを知った。一切、崔順実と会ったり電話をしたことはない」
--朴槿恵大統領が2013年7月29-30日の休暇に崔順実被告と猪島(チョド)に行った直後の8月6日、秘書室長に任命された。一緒に行ったという疑惑もある。
「私は7月16日に前立腺肥大症のためセブランス病院で除去手術を受けた。50日間出血があり、痛みが激しく、家で療養した。呼ばれても行けない状態だった。虚構だ」
--ミル・Kスポーツ疑惑の中心人物であるキム・ジョン前文化体育観光部次官は2013年の就任初期、金前室長が「会ってみなさい」といって約束場所に行ったところ崔順実被告がいたと話したという報道がある。
「検察で対面することがあれば尋ねてみる。その人はおかしいのでは。私が次官にどこどこへ行ってみなさいと話したことはない。私ではなく他の人から言われたのならともかく」
--ソウル鍾路(チョンノ)の富豪だったキム前次官の父が後援をした関係で金前室長が彼を次官にさせたという疑惑もある。
「ひょっとしてと思って子どもにキム前次官の父をインターネットで検索させたところ名前も出てこなかった。キム前次官が私と親しいと周囲に話していたことは知っている。キム前次官の人事は人事権者(朴大統領)がした。私はキム前次官が任命された後、彼を初めて見た」
--崔順実被告の最側近チャ・ウンテク前創造経済推進団長は、チョン・ソンガク前コンテンツ振興院長選任の時に金前室長に紹介し、青瓦台で会うようにしたと述べた。
「そのようなことはない。青瓦台で私が会ったとすれば出入り記録がすべて残っているだろう。調べてみれば明らかになることだ。該当記事を書いた記者に抗議の文字メッセージを送った」
--金英漢(キム・ヨンハン)元民情首席秘書官が残した備忘録によると、金前室長がチョン・ユンフェ文書流出事件の縮小隠蔽、文化芸術界ブラックリスト作成、朴智元(パク・ジウォン)議員司法処理圧力などの指示をしたと書かれている。
「室長主宰の首席秘書官会議では領域別に懸案について討論が行われる。そのような会議の席上で敏感な司法懸案、特定政治家に言及したことはない。亡くなった金元首席秘書官がそのような会議内容について自分の考えを整理しておいた可能性はあるだろう。民情首席室は司法懸案を知っているので、そこで何をしたのかは分からない。私が指示してこそ私の行為であり、それは私の行為ではなかった。故人にこういう話は何だが、金元首席秘書官は実際、私の話をあまり聞かないスタイルだった。私が当時、趙允旋(チョ・ユンソン)政務首席秘書官と共感してブラックリストを作成したというが、そういうのを作れ、作るなという話はしたこともない」
--朴大統領の「セウォル号7時間」と施術疑惑をめぐる論争が絶えず続いている。
「大統領執務室が本館、秘書棟、官邸、迎賓館に散在していて、実際、大統領と電話をしてもどこにいるのかよく分からない。付属室なら知っているだろうか。私が官邸に行っても大統領の寝室である中の部屋には入ったことがない。朴大統領が何か施術を受けたかどうかについて私は大統領の言葉を信じて確信しているが、実際それを尋ねることはできなかった。女性大統領なので。そういうのを尋ねるのは失礼だと考えた」
--金前室長も最近疑惑があるチャウム医院の日本病院で幹細胞治療を受けた。
「3年ほど前、私の息子が脳出血で倒れ、まだ意識がない。チャウムが幹細胞治療に優れているというので妻と訪ねた。方法がないと言われた。行ったついでに妻とともに血液検査を受けたところ、2人とも免疫欠乏だった。それで治療が合法の日本に行って私が2回、私の妻は3回施術を受けた。私は施術の後、アレルギーがひどく副作用があった」
--禹柄宇(ウ・ビョンウ)前民情首席秘書官の妻の父、イ・サンダル前器興(キフン)CC会長とはどんな関係か。禹前首席秘書官の青瓦台秘書官任命は金前室長が関与したのか。
「イ・サンダルは知らない人だ。私は人見知りをするので、交際は非常に少ない方だ。禹柄宇前首席秘書官が青瓦台に民政秘書官として入ってきたのは人事権者がすべて決めることだ」
--朴大統領と崔順実事態の後、対応策についていろいろ相談に応じているという話もある。
「先月29日にセヌリ党常任顧問団の資格で大統領の招請を受け、一言いったのがすべてだ。信じないだろうが、朴大統領と連絡はない」
--青瓦台の秘書室長としてこのような国難を予防できなかった責任は大きいのでは。
「50年余りの公職生活が一日であらゆる嘲弄の対象になり、嘘つきになって本当に惨めな心境だ。本当に国民に申し訳なく恥ずかしい。検察であれ国政調査であれ積極的に調査に臨む。朴大統領の父に仕え、娘にも私心なく仕えようとした。仕えた方にいうことではないが、どうしてこれほど大統領が過去の縁を断絶できずこのようになったのか、惨めで残念だ」
--崔太敏(チェ・テミン)氏を知ったのはいつからか。
「中央情報部第5局長(対共捜査局長)在職当時の1974年、隣の第6局(国内保安局)が崔太敏氏関連の不正を調査した。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領に報告するためだったが、当時に彼の存在を知った。私が崔太敏氏と接触したことはない。私が87年に育英財団紛糾を解決するといって財団の崔太敏氏側に何度か会ったというのも全く事実でない」
--87年の金前室長と崔順実被告の関係が疑惑の対象になっている。
「2007年に私は朴槿恵(パク・クネ)大統領候補陣営に入ったが、その時も存在を知らなかった。実際、朴槿恵大統領は当時から崔順実の話を私にしたことがない。2006年9月に朴槿恵候補と私がドイツを訪問した当時に崔順実が同行したというが、来ていたのか知らなかった。当時、崔ギョン煥(チェ・ギョンファン)議員、李貞鉉(イ・ジョンヒョン)議員、記者10人ほどが一緒に行ったが、知らなかった。今回の事件が起きて崔順実、(娘の)チョン・ユラを知った。一切、崔順実と会ったり電話をしたことはない」
--朴槿恵大統領が2013年7月29-30日の休暇に崔順実被告と猪島(チョド)に行った直後の8月6日、秘書室長に任命された。一緒に行ったという疑惑もある。
「私は7月16日に前立腺肥大症のためセブランス病院で除去手術を受けた。50日間出血があり、痛みが激しく、家で療養した。呼ばれても行けない状態だった。虚構だ」
--ミル・Kスポーツ疑惑の中心人物であるキム・ジョン前文化体育観光部次官は2013年の就任初期、金前室長が「会ってみなさい」といって約束場所に行ったところ崔順実被告がいたと話したという報道がある。
「検察で対面することがあれば尋ねてみる。その人はおかしいのでは。私が次官にどこどこへ行ってみなさいと話したことはない。私ではなく他の人から言われたのならともかく」
--ソウル鍾路(チョンノ)の富豪だったキム前次官の父が後援をした関係で金前室長が彼を次官にさせたという疑惑もある。
「ひょっとしてと思って子どもにキム前次官の父をインターネットで検索させたところ名前も出てこなかった。キム前次官が私と親しいと周囲に話していたことは知っている。キム前次官の人事は人事権者(朴大統領)がした。私はキム前次官が任命された後、彼を初めて見た」
--崔順実被告の最側近チャ・ウンテク前創造経済推進団長は、チョン・ソンガク前コンテンツ振興院長選任の時に金前室長に紹介し、青瓦台で会うようにしたと述べた。
「そのようなことはない。青瓦台で私が会ったとすれば出入り記録がすべて残っているだろう。調べてみれば明らかになることだ。該当記事を書いた記者に抗議の文字メッセージを送った」
--金英漢(キム・ヨンハン)元民情首席秘書官が残した備忘録によると、金前室長がチョン・ユンフェ文書流出事件の縮小隠蔽、文化芸術界ブラックリスト作成、朴智元(パク・ジウォン)議員司法処理圧力などの指示をしたと書かれている。
「室長主宰の首席秘書官会議では領域別に懸案について討論が行われる。そのような会議の席上で敏感な司法懸案、特定政治家に言及したことはない。亡くなった金元首席秘書官がそのような会議内容について自分の考えを整理しておいた可能性はあるだろう。民情首席室は司法懸案を知っているので、そこで何をしたのかは分からない。私が指示してこそ私の行為であり、それは私の行為ではなかった。故人にこういう話は何だが、金元首席秘書官は実際、私の話をあまり聞かないスタイルだった。私が当時、趙允旋(チョ・ユンソン)政務首席秘書官と共感してブラックリストを作成したというが、そういうのを作れ、作るなという話はしたこともない」
--朴大統領の「セウォル号7時間」と施術疑惑をめぐる論争が絶えず続いている。
「大統領執務室が本館、秘書棟、官邸、迎賓館に散在していて、実際、大統領と電話をしてもどこにいるのかよく分からない。付属室なら知っているだろうか。私が官邸に行っても大統領の寝室である中の部屋には入ったことがない。朴大統領が何か施術を受けたかどうかについて私は大統領の言葉を信じて確信しているが、実際それを尋ねることはできなかった。女性大統領なので。そういうのを尋ねるのは失礼だと考えた」
--金前室長も最近疑惑があるチャウム医院の日本病院で幹細胞治療を受けた。
「3年ほど前、私の息子が脳出血で倒れ、まだ意識がない。チャウムが幹細胞治療に優れているというので妻と訪ねた。方法がないと言われた。行ったついでに妻とともに血液検査を受けたところ、2人とも免疫欠乏だった。それで治療が合法の日本に行って私が2回、私の妻は3回施術を受けた。私は施術の後、アレルギーがひどく副作用があった」
--禹柄宇(ウ・ビョンウ)前民情首席秘書官の妻の父、イ・サンダル前器興(キフン)CC会長とはどんな関係か。禹前首席秘書官の青瓦台秘書官任命は金前室長が関与したのか。
「イ・サンダルは知らない人だ。私は人見知りをするので、交際は非常に少ない方だ。禹柄宇前首席秘書官が青瓦台に民政秘書官として入ってきたのは人事権者がすべて決めることだ」
--朴大統領と崔順実事態の後、対応策についていろいろ相談に応じているという話もある。
「先月29日にセヌリ党常任顧問団の資格で大統領の招請を受け、一言いったのがすべてだ。信じないだろうが、朴大統領と連絡はない」
--青瓦台の秘書室長としてこのような国難を予防できなかった責任は大きいのでは。
「50年余りの公職生活が一日であらゆる嘲弄の対象になり、嘘つきになって本当に惨めな心境だ。本当に国民に申し訳なく恥ずかしい。検察であれ国政調査であれ積極的に調査に臨む。朴大統領の父に仕え、娘にも私心なく仕えようとした。仕えた方にいうことではないが、どうしてこれほど大統領が過去の縁を断絶できずこのようになったのか、惨めで残念だ」
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