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<崔順実ゲート>崔太敏一家、朴大統領を背に26年前にも…

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

1990年7月に崔太敏氏の指示で育英財団で作成された「槿花報運営基金確保」文書。「槿花奉仕団」の機関紙「槿花報」運営のために約10億ウォンを協賛する5社の名前が書かれている。

崔太敏(チェ・テミン)氏(1994年死亡)の一家が26年前にも朴槿恵(パク・クネ)大統領を背に大企業に圧力を加えて資金を受けていたことが確認された。中央日報が単独入手した「槿花報運営基金確保案」によると、崔太敏氏は「槿花奉仕団」の機関紙「槿花報」を100万部発行するという名分で1990年7月、浦項製鉄(会長 朴泰俊)、亜南産業(会長 金向洙)、韓国化粧品(社長 林忠憲)、大農グループ(会長 パク・ヨンハク)、大宇グループ(会長 金宇中)から計10億8000万ウォン(物価指数基準で現在30億ウォン以上)を集めた。崔太敏氏の娘・崔順実(チェ・スンシル)容疑者(60)が大企業に圧力を加えてミル・Kスポーツ財団への支援を受けたのと似た手法だ。

89年に設立された槿花奉仕団は、朴大統領と崔太敏氏が対外活動の基盤とした「セマウム奉仕団」の後身だ。槿花報は団体の便りを伝えると同時に朴正熙(パク・ジョンヒ)政権の正当性を説明する窓口の役割をした。この文書を作成した育英財団の元職員A氏は「崔太敏氏の指示に基づいて文書を作って5社に伝え、そのまま資金が集まった。企業の腕をねじって資金を集め利権を得る方法は昔も今も全く同じ」と話した。A氏は「このように進められた事業の利権の多くが崔太敏氏一家に流れた」と語った。

A氏によると、崔太敏氏は当時、育英財団と朴正熙・陸英修(ユク・ヨンス)記念事業会、槿花奉仕団など朴大統領と関係がある11の財団・団体の資金を管理した。A氏は「11の財団・団体の資金運用はすべて嶺南(ヨンナム)投資金融を通じて行われたが、嶺南投資金融の職員が月に1回ずつ書類の束を持って育英財団に訪ねてきた。崔太敏氏は朴大統領が印を押す前にすべての事案を最終確認する役割をした」と話した。また「特に11の財団・団体のうち資金の規模が大きい育英財団・正修奨学会・嶺南財団は崔太敏氏が全権を握って集中管理した」と証言した。


崔順実容疑者も育英財団などを通じて財産を蓄積した。崔容疑者はソウル江南区新沙洞(シンサドン)にチョイ総合学院(1985年1月)、チョイ幼稚園(1986年3月)をそれぞれ設立した。A氏は「幼稚園設立資金は社会福祉法人敬老福祉院付設セマウム総合病院とセマウム韓方病院を明知(ミョンジ)病院で譲って受けた資金3億5000万ウォンから出た」と明らかにした。育英財団子ども会館で勤務したBは「チョイ幼稚園は子ども会館を自由に利用して教育できるという点を強調して富裕層の児童を集め、崔順実容疑者はこれを通じて大金を稼いだ」と説明した。続いて「崔順実容疑者の元夫が家具代理店を運営したが、突然、育英財団の家具がその代理店のブランドにすべて入れ替わった。細かい器物から巨大な利権事業まで崔太敏氏一家の手が及ばないところはなかった」と振り返った。

崔太敏氏は育英財団で朴大統領との関係を公然と誇示していたという証言も出てきた。A氏は「崔太敏氏が育英財団の職員50-60人を集め、下着が入った袋を揺らしながら見せ、『朴槿恵理事長は私が下着まで直接買うほど私がいなければ何もできない人』と話したことがある」と伝えた。育英財団事業部長を務めたC氏は「崔太敏氏が毎週金曜日午後に職員を講堂に集めて精神教育をした。朴槿恵理事長が大韓民国の最初の女性大統領になるために彼女をよく補助しなければいけないという内容が中心だった」と振り返った。



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