集会現場にやってきた小説家・黄?暎氏
56年前、私は高校生で、徳寿宮の塀道の曲がり角で「李承晩(イ・スンマン)下野」を叫ぶデモの群衆の中に混じっていた。広場の向い側で実弾射撃が始まり、私の隣にいた友人が倒れた。彼を抱き起こすと頭がカクンと前に落ちて血がほとばしった。私は自分の学生帽を脱いで彼の頭にかぶせてやった。級友とともに彼を担いで走り、医大生の助けを借りて救急車に乗せた。遅れて到着したソウル駅前セブランス病院裏庭には、白いシーツで覆われた死体が並び置かれ、死んだ友人はそのどこかにいた。私は病院のトイレで裸になり、友人の血をたっぷり含んだ学生服を洗った。赤い血液はしばらく水と一緒に流れていったが、私は流れる涙をとめることができなかった。
80年光州(クァンジュ)道庁前で、87年6月の市庁前広場で、ある者は血を流し、ある者は歳月を生き延びてきた。多くの同時代の人々があふれ出たこの道に立ち、私は彼らと共に悲しみとこみ上げる思いが交差する複雑な心情で「朴槿恵退陣」を叫んだ。
ベビーカーを押して出てきた母親たちとその途方もない叫び声の中でも平和そうに眠る赤ちゃん、大きなお兄ちゃんと小さなお嬢ちゃん、そして妻を前後に連れた給料取りの家長たち、長い間忘れていたがこれを機に学生時代に一緒だったサークル仲間を呼び集めた中・壮年たち、恐る恐る行列の端っこでスローガンの終わりの句を一緒に唱えている老夫婦と、朗々とした声できっぱりと叫ぶ中高生の少年少女たち、そして何よりも彼らに祭りの広場を譲るために荒々しい息遣いを整えて裏道に退いた労働者・農民・市民団体、秩序と安全のために道を案内し清掃し即席ボランティアメンバーとなった大学生たち、この偉大な市民たちを見ながら私は詩人・金洙暎(キム・スヨン)の語り口を借りてこう叫びたい。
<100万人集会>100万の叫び声、新たな歴史を作る(2)
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