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<崔氏韓国国政壟断>「朴大統領、目にほこり入ると遊説中断、崔順実氏のところへ」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

朴大統領が1998年4月に大邱市達成補欠選挙で当選した後、支持者からお祝いを受けている。(中央フォト)

朴槿恵(パク・クネ)大統領の「秘線」疑惑を受けている崔順実(チェ・スンシル)氏(60)が、朴大統領の政治入門初期から衣装やヘアスタイルなどを助言するコーディネーターの役割をしたという証言が出てきた。1998年4月2日に行われた達城郡(タルソングン)国会議員補欠選挙をきっかけに政治に足を踏み入れた当時、崔氏が朴大統領の選挙区の自宅で一緒に過ごしながら世話をしたということだ。このため朴大統領の政治家デビュー決心過程に崔氏が影響を与えたという話も出ている。

補欠選挙当時に達城郡花園邑(ファウォンウプ)に設置された選挙事務所で選挙業務を総括したA氏は27日、記者に「当時、朴大統領の選挙運動を支援するためにソウルから3人が来たが、その中に崔順実氏-チョン・ユンフェ氏の夫婦がいた」と話した。続いて「崔氏は選挙運動期間、朴大統領と花園邑のマンションで一緒に過ごし、服・ヘアスタイルについて助言し、食事も準備した」と説明した。崔氏は選挙事務所に3回立ち寄ったが、すぐに出て行き、事務所の関係者とはほとんど対話をしなかったという。A氏は「知らない女性が事務室に入ってくるので職員に尋ねたところ『チョン・ユンフェ秘書室長夫人』と聞いた」と振り返った。

崔氏と朴大統領の親しい関係を表す当時のエピソードもある。朴大統領は同年3月、国家安全企画部(国家情報院の前身)企調室長だったオム・サムタク氏が与党(新政治国民会議)候補に決定し、厳しい選挙が予想された。与党が当時、与党副総裁だったオム氏を積極的に支援し、激しい選挙戦が繰り広げられた。こうした中、ある日、達城郡嘉昌面(カチャンミョン)で遊説した朴大統領の目にほこりが入った。朴候補陣営の秘書室長だったチョン・ユンフェ氏が選挙運動員に急いで病院を調べるよう指示したが、田舎だったため眼科がなかった。


この時、朴大統領は何度か電話をした後、花園邑の自宅に戻ったという。これに関し、当時の選挙関係者らは「終盤の遊説で時間も不足している中、車で1時間ほどかかる自宅まで戻る理由があるのか」とこそこそ話していたという。当時現場で実行業務をしていたB氏は「(遊説現場で)朴大統領の目を開いてほこりを取り除く人は誰もいなかった。崔順実氏にお願いするために家に帰ったのだろう」と話した。

朴大統領の身体に直接触れることができる唯一の人物が崔氏だったほど親しかったということだ。匿名を求めた達城郡のある地域政治家は「崔氏と朴大統領の縁は70年代以降およそ40年間続いてきた。98年の最初の選挙に同行して世話をした点からみて、朴大統領の現実政治デビューを助言した可能性がある」と話した。

74年8月に母・陸英修(ユク・ヨンス)氏が殺害された後に知り合った崔太敏(チェ・テミン)(崔順実氏の父)が当時大学生だった娘の崔順実氏を朴大統領に紹介したという。79年10月に父・朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領が死去した後、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が主導した新軍部によって青瓦台から追い出され、18年間にわたり在野で過ごした時も、崔順実氏がそばにいたと知られている。朴大統領は25日、国民に向けて謝罪した時、崔氏との関係に言及しながら「つらい時に助けてもらった縁」と述べた。報道によると、崔氏はミル財団のイ・ソンハン前事務総長に「私は今まで姉さん(朴大統領)のそばで義理を守っているからこれほど受けている」と語ったという。

2000年の第16代総選挙でも崔順実氏は朴大統領のそばにいたという。当時、選挙事務所の幹部だったC氏は「当時も『ソウルおばさん』が(朴大統領の)髪型を整え、食事もするという話があった。選挙事務所付近で一度、崔氏を見たことがある。外には姿を見せず(朴大統領に)助言したようだ」と話した。

李在万(イ・ジェマン)、チョン・ホソン、アン・ボングンのいわゆる「最側近3人組」は、チョン・ユンフェ氏の推薦で2000年の総選挙当時に大邱(テグ)に来て選挙運動をしたという。



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