朴槿恵(パク・クネ)大統領は25日、国民向けの謝罪で崔順実(チェ・スンシル)氏(60)との関係を「困難な時に助けを受けた縁」と述べた。どういう意味だろうか。
朴大統領は1979年10・26事件(朴正煕大統領暗殺事件)から97年末に政界に出てくるまでの18年間、長い隠遁生活をした。朴大統領はこの時期に書いた日記で「いま優しくて親切な人が後にあきれるほど利に聡い人でないと誰が断言できるだろうか。はかない人間関係だ」と書いた。ソウルのあるホテルのエレベーターの中で朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領時代に長官を務めた人が朴大統領と会っても知らないふりをした日に書いたものだった。結局、朴大統領の言及は18年間の隠遁期に崔氏と特別で緊密な関係を維持したことを示唆している。
「夢が多い大学時代、ファーストレディの役割をしていたその方に初めて会った」(87年の雑誌に載せられた崔氏の寄稿)。
朴大統領と崔氏の縁は母・陸英修(ユク・ヨンス)氏の逝去(74年)後2、3年の間に結ばれたとみられる。40年近くなったということだ。
いくつかの記録によると、朴大統領は崔氏より崔氏の父・崔太敏(チェ・テミン)氏に先に出会った。『キム・ヒョンウク回顧録』には、陸氏が殺害された後、崔太敏氏が令嬢の朴大統領に慰めの手紙を送ったという内容が出てくる。手紙をきっかけに朴大統領に初めて会った席で、崔太敏氏は夢に出てきた陸氏のメッセージだといって次のように話したという。「お母さんは亡くなったのではなく、あなたの時代を開くために道を譲ったということをなぜ分からないのか」。
1912年に黄海道(ファンヘド)で生まれ、植民地時代に警察業務を遂行したという崔太敏氏は、解放後、僧侶になったという。70年代初めに仏教・キリスト教・天道教を総合しながら「永生教」を創始して教主になった。永生教の看板を下ろした後、75年4月に「大韓救国宣教団」を設立し、翌月に開催した「救国祈祷会」、6月の「大韓救国十字軍」創軍式などに朴大統領が出席した。76年に朴大統領は崔太敏氏がいくつかの団体を統合して設立した「セマウム奉仕団」の総裁となった。しかし崔太敏氏は77年9月当時、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長の報告で朴正熙大統領から不正容疑などで直接尋問を受けたが、司法処理は免れた。金載圭中央情報部長は10・26事件後に裁判所に提出した控訴理由補充書の「救国女性奉仕団と関連した令嬢の問題」という文書で、「この問題が10・26革命の動機のうち間接的だが重要なもの」と明らかにしたりもした。
崔太敏氏の五女の崔順実氏はセマウム奉仕団大学生会長として朴大統領に初めて会ったという。最近あるインターネットメディアはセマウム奉仕団が主催した79年の「第1回セマウム祭典」行事で崔氏が朴大統領に密着随行する姿が入った映像を公開した。
1979年にドイツに留学し、85年に帰国して教育事業をしながら、育英財団理事長だった朴大統領と再会した。当時、崔氏は4歳年上の朴大統領の話し相手となり、「オンニ(姉さん)」と呼んだという。イ・ソンハン前ミル財団事務総長も最近、あるメディアのインタビューで「9月に車の中で崔氏が朴大統領と電話をしながら気兼ねなく『姉さん』と呼んでいた」と主張した。
<朴大統領秘線>崔氏と42年の縁…どういう関係?(2)
朴大統領は1979年10・26事件(朴正煕大統領暗殺事件)から97年末に政界に出てくるまでの18年間、長い隠遁生活をした。朴大統領はこの時期に書いた日記で「いま優しくて親切な人が後にあきれるほど利に聡い人でないと誰が断言できるだろうか。はかない人間関係だ」と書いた。ソウルのあるホテルのエレベーターの中で朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領時代に長官を務めた人が朴大統領と会っても知らないふりをした日に書いたものだった。結局、朴大統領の言及は18年間の隠遁期に崔氏と特別で緊密な関係を維持したことを示唆している。
「夢が多い大学時代、ファーストレディの役割をしていたその方に初めて会った」(87年の雑誌に載せられた崔氏の寄稿)。
朴大統領と崔氏の縁は母・陸英修(ユク・ヨンス)氏の逝去(74年)後2、3年の間に結ばれたとみられる。40年近くなったということだ。
いくつかの記録によると、朴大統領は崔氏より崔氏の父・崔太敏(チェ・テミン)氏に先に出会った。『キム・ヒョンウク回顧録』には、陸氏が殺害された後、崔太敏氏が令嬢の朴大統領に慰めの手紙を送ったという内容が出てくる。手紙をきっかけに朴大統領に初めて会った席で、崔太敏氏は夢に出てきた陸氏のメッセージだといって次のように話したという。「お母さんは亡くなったのではなく、あなたの時代を開くために道を譲ったということをなぜ分からないのか」。
1912年に黄海道(ファンヘド)で生まれ、植民地時代に警察業務を遂行したという崔太敏氏は、解放後、僧侶になったという。70年代初めに仏教・キリスト教・天道教を総合しながら「永生教」を創始して教主になった。永生教の看板を下ろした後、75年4月に「大韓救国宣教団」を設立し、翌月に開催した「救国祈祷会」、6月の「大韓救国十字軍」創軍式などに朴大統領が出席した。76年に朴大統領は崔太敏氏がいくつかの団体を統合して設立した「セマウム奉仕団」の総裁となった。しかし崔太敏氏は77年9月当時、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長の報告で朴正熙大統領から不正容疑などで直接尋問を受けたが、司法処理は免れた。金載圭中央情報部長は10・26事件後に裁判所に提出した控訴理由補充書の「救国女性奉仕団と関連した令嬢の問題」という文書で、「この問題が10・26革命の動機のうち間接的だが重要なもの」と明らかにしたりもした。
崔太敏氏の五女の崔順実氏はセマウム奉仕団大学生会長として朴大統領に初めて会ったという。最近あるインターネットメディアはセマウム奉仕団が主催した79年の「第1回セマウム祭典」行事で崔氏が朴大統領に密着随行する姿が入った映像を公開した。
1979年にドイツに留学し、85年に帰国して教育事業をしながら、育英財団理事長だった朴大統領と再会した。当時、崔氏は4歳年上の朴大統領の話し相手となり、「オンニ(姉さん)」と呼んだという。イ・ソンハン前ミル財団事務総長も最近、あるメディアのインタビューで「9月に車の中で崔氏が朴大統領と電話をしながら気兼ねなく『姉さん』と呼んでいた」と主張した。
<朴大統領秘線>崔氏と42年の縁…どういう関係?(2)
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