国際舞台デビュー30周年を迎えたソプラノ歌手のチョ・スミ。国内ツアーを行い、記念音盤も発売する。(写真提供=ユニバーサル・ミュージック)
1986年イタリア・トリエステのヴェルディ劇場でのデビュー以降、チョ・スミは常にニュースと話題の中心にいた。イタリアのスカラ座など世界的なオペラの舞台に立ち、ナポリなど多くの国際コンクールで優勝した。巨匠ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89)はチョ・スミについて「100年に一回出て来るかどうかのソプラノ」と絶賛した。
韓国音楽家として初めて1回の出演料1億ウォン(約894万円)を越えたのも彼女だ(2002年)。大衆歌謡に挑戦した2000年、クロスオーバーアルバム『Only Love』は100万枚売れた。公演を前に電子メールによるインタビューを通じて、チョ・スミは「これまで多くの仕事をした。想像もできなかった成果をあげることができた。がむしゃらに生きているうちに時間が早く過ぎ去ったようだ」と語った。
--国際舞台に華やかにデビューした。
「86年10月26日ヴェルディのオペラ『リゴレット』のジルダ役でデビューした。イタリア歌手でなければ主役は難しかった時代だ。東洋人として奇跡のようなことだった。万全の準備で緊張することはなかった。もちろん興奮はしたが、はやく舞台に上がって歌いたかった。メイク室が多くの花であふれ、まるで花園みたいだった」
--5歳からピアノを弾いていた。
「父はサラリーマンだった。60年代、新婚生活を借家から始めた。初めての娘である私が子供のころから落ち着きがなかったのか、近所のおばあさんが『子供が賢すぎれば短命だ。何でも叩いてこそ厄運が出て行く』とおっしゃった。思案の末、親がピアノを教えた。鍵盤を叩かせたのだ。絶対音感があったようで、ラジオから流れる歌を即興で弾いて歌を歌った。母がオペラ好きで、妊娠中、昼夜問わずソプラノのマリア・カラスやテバルディの歌を聞いていたという。欲張りな母のおかげでピアノやバレー、伽耶琴、フィギュアスケートなどやらなかったものはない。弁論塾にも通ったが、小学校低学年の時に弁論大会に出て小中高大の全体で大賞を取った」
--イタリアで留学に行った背景も有名だ。
「ソウル大音大81年期として首席で入学した。入学直後に恋愛をしていて1年間勉強しなかったため全科目Fを取ってしまった。1年だけ成績が良くなくても除籍になった時代だ。教授が残念だと言って留学を勧めてくれた。大学の時に遊んだので留学に行ってからは徹底的に音楽だけに没頭することができた」
--イタリアのサンタ・チェチーリア音楽院留学時代はどうだったか。
「切迫していた。勉強しなければならなかった。5年過程を2年で終えた。イタリア語が十分ではなく、語学学校に通った。恋人にまた会うという考えでがむしゃらに勉強したがイタリアに来て3カ月後に別れを切り出された。5年間、韓国に戻らなかった」
--カラヤンとの縁は。
「私は運命論者だ。中高生の時、机の上にベルリンフィルを指揮するカラヤンのブロマイドを置いていた。だからだろうか、ザルツブルク音楽祭のオーディションで初めて会った時も緊張する一方で前からよく知っているような気がした。朝夕と見ていた人なので。髪の毛も触り、青い瞳も近くで見た。私をとてもかわいがってくれた。カラヤンは『夜の女王』はたくさん歌うなと忠告してくれた。音域が高くて喉を酷使するという理由からだった。『ヴァイオリンの弦も力いっぱい張れば切れてしまう。音楽という張り詰めた弦を緩めて休む方法を学びなさい』という言葉も記憶に残っている。カラヤン自身も生涯頭の中に音楽が入っていて苦労されたそうだ」
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