21日、リオデジャネイロオリンピック(五輪)アリーナ。
新体操個人総合の決勝をすべて終え、待機席に座っていた彼女の目からこらえていた涙があふれた。17年前に新体操を始めた瞬間から最後のリボン演技まで、数多くの場面が彼女の頭の中をかすめていった。説明することのできない複雑な感情が涙に込められていた。娘を見守っていた母ユン・ヒョンスクさん(48)も涙をこらえることができなかった。ソン・ヨンジェ(22、延世大)の2度目の五輪、そして最後の五輪は涙で終わった。
ソン・ヨンジェはフープ(18・216点)、ボール(18.266点)、クラブ(18.300点)、リボン(18.116点)の決勝4種目の合計72.898点で、総合4位だった。銅メダルを獲得したウクライナのアンナ・リザディノワ(23,73.583点)とは0.685点差。「練習した分だけ結果が出ればいい」と話していたソン・ヨンジェは世界4位という成績を淡々と受け止めた。
金メダルはマルガリータ・マムーン(21、ロシア、76.483点)が獲得した。バトンでミスをして涙を流したヤナ・クドリャフツェワ(19、ロシア、75.608点)は2位。身体条件が優れた東欧選手らの間でソン・ヨンジェは大きなミスなく全種目で18点台をマークした。最善を尽くしたソン・ヨンジェの最後の演技にインターネットには「泣くなソン・ヨンジェ」「十分に美しかった」などの応援のコメントが続いた。ソン・ヨンジェは「(ロンドン五輪5位の後)4年間成長したことを感じる。点数を付けるなら自分に100点を与えたい」と語った。
容易でない旅程だった。20日の予選でソン・ヨンジェはフープ・リボンでミスをし、5位(71.956点)で決勝に進出した。ソン・ヨンジェは「(23人のうち10位以内に入らなければいけない)決勝に進出できないのではと思って緊張した。決勝では結果を気にせず練習してきたものをすべて出しきろうと思った」と話した。
ソン・ヨンジェは2014年、仁川(インチョン)アジア競技大会で金メダルを獲得した後、引退を計画した。5歳の時から続けてきた新体操があまりにも大変だったからだ。ソン・ヨンジェは「リオ五輪に行きたいという思いがなかった。新体操をすること自体が嫌になることもあった」と打ち明けた。
揺れる娘に母のユンさんは「練習してきたことをまだすべて出せていない。もう少し頑張ってどうせなら五輪の舞台で選手生活を終わらせよう」と勧めた。体はマットに戻ったが、気持ちは伴わなかった。ソン・ヨンジェは「リオ五輪を準備する間、一日に数十回もやめたいという思いになったりした。他人がしようという通りにしているようで嫌だった」と話した。
それでもソン・ヨンジェは乗り越えた。インターネット上では「実力に比べて過度にスター扱いされている」などのコメントが少なくなかった。心理的にきつい時期が多かったが、母との約束、自分との約束を守るためにソン・ヨンジェはリオ五輪だけを待って準備した。
<五輪新体操>メダル獲得はならなかったが…美しかったソン・ヨンジェ(2)
新体操個人総合の決勝をすべて終え、待機席に座っていた彼女の目からこらえていた涙があふれた。17年前に新体操を始めた瞬間から最後のリボン演技まで、数多くの場面が彼女の頭の中をかすめていった。説明することのできない複雑な感情が涙に込められていた。娘を見守っていた母ユン・ヒョンスクさん(48)も涙をこらえることができなかった。ソン・ヨンジェ(22、延世大)の2度目の五輪、そして最後の五輪は涙で終わった。
ソン・ヨンジェはフープ(18・216点)、ボール(18.266点)、クラブ(18.300点)、リボン(18.116点)の決勝4種目の合計72.898点で、総合4位だった。銅メダルを獲得したウクライナのアンナ・リザディノワ(23,73.583点)とは0.685点差。「練習した分だけ結果が出ればいい」と話していたソン・ヨンジェは世界4位という成績を淡々と受け止めた。
金メダルはマルガリータ・マムーン(21、ロシア、76.483点)が獲得した。バトンでミスをして涙を流したヤナ・クドリャフツェワ(19、ロシア、75.608点)は2位。身体条件が優れた東欧選手らの間でソン・ヨンジェは大きなミスなく全種目で18点台をマークした。最善を尽くしたソン・ヨンジェの最後の演技にインターネットには「泣くなソン・ヨンジェ」「十分に美しかった」などの応援のコメントが続いた。ソン・ヨンジェは「(ロンドン五輪5位の後)4年間成長したことを感じる。点数を付けるなら自分に100点を与えたい」と語った。
容易でない旅程だった。20日の予選でソン・ヨンジェはフープ・リボンでミスをし、5位(71.956点)で決勝に進出した。ソン・ヨンジェは「(23人のうち10位以内に入らなければいけない)決勝に進出できないのではと思って緊張した。決勝では結果を気にせず練習してきたものをすべて出しきろうと思った」と話した。
ソン・ヨンジェは2014年、仁川(インチョン)アジア競技大会で金メダルを獲得した後、引退を計画した。5歳の時から続けてきた新体操があまりにも大変だったからだ。ソン・ヨンジェは「リオ五輪に行きたいという思いがなかった。新体操をすること自体が嫌になることもあった」と打ち明けた。
揺れる娘に母のユンさんは「練習してきたことをまだすべて出せていない。もう少し頑張ってどうせなら五輪の舞台で選手生活を終わらせよう」と勧めた。体はマットに戻ったが、気持ちは伴わなかった。ソン・ヨンジェは「リオ五輪を準備する間、一日に数十回もやめたいという思いになったりした。他人がしようという通りにしているようで嫌だった」と話した。
それでもソン・ヨンジェは乗り越えた。インターネット上では「実力に比べて過度にスター扱いされている」などのコメントが少なくなかった。心理的にきつい時期が多かったが、母との約束、自分との約束を守るためにソン・ヨンジェはリオ五輪だけを待って準備した。
<五輪新体操>メダル獲得はならなかったが…美しかったソン・ヨンジェ(2)
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