李錫総裁が17日、全州韓屋村(チョンジュ・ハノクマウル)にある「皇孫の家」承光斎を後にしている。
映画『徳恵翁主』に対する歴史美化議論が広がるなかで、今月17日、全羅北道全州(チョルラブクド・チョンジュ)の韓屋村(ハノクマウル)にある「皇孫の家」承光斎で李総裁と会った。承光斎は1897年、大韓帝国を宣言した高宗皇帝時代の年号である光武から「光」を取り、つなぐという意味の「承」を合わせ「高宗皇帝の意志を継承する家」という意味を持つ。李総裁はこの日、猛暑にもかかわらず伝統の韓服姿で文化探訪客に「朝鮮王朝519年」について熱弁を振るっていた。
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