『徳恵翁主』は時期的にあつらえ向きだ。光復(解放)71年を迎えた8月15日に合わせやってきた。国権喪失の痛みと回復の喜びを喚起させる。これまで特別な注目を浴びることができなかった、歴史から忘れられた人物を現在に改めて呼び出した点も拍手を受けるに値する。韓国現代史の空白地帯を埋めたわけだ。一般観客の反応はそうした時代的・文化的な渇きを見せる。
問題は人物の扱い方だ。映画が想像力のジャンルだとしても実在の人物を扱う時は何より基本事実に忠実でなければならない。スクリーンの感動を最大化するために一部を誇張できても該当人物の性格自体を変えるのはややもすると歪曲へと流れかねない。大衆の琴線に触れるのには成功するかも知れないが、歴史に対するまた別の誤解を作り出しかねないためだ。
【社説】映画『徳恵翁主』の歪曲議論、韓国史研究の新たな踏み台に(2)
問題は人物の扱い方だ。映画が想像力のジャンルだとしても実在の人物を扱う時は何より基本事実に忠実でなければならない。スクリーンの感動を最大化するために一部を誇張できても該当人物の性格自体を変えるのはややもすると歪曲へと流れかねない。大衆の琴線に触れるのには成功するかも知れないが、歴史に対するまた別の誤解を作り出しかねないためだ。
【社説】映画『徳恵翁主』の歪曲議論、韓国史研究の新たな踏み台に(2)
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