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安倍首相の右傾化牽制する「百済系の天皇」…退位までは山また山(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
明仁天皇(82)が8日「生前退位」の意向を直接明らかにすると日本メディアが最近一斉に報道した。これに伴い明仁天皇が存命中に徳仁皇太子(56)に譲位する手続きが後に従う可能性が議論されている。生前委譲が実現される場合、1817年の光格天皇以来約200年ぶりの事例となる。

即位をはじめ天皇と皇室についての諸般規定は、憲法ではなく皇室典範に含まれている。現行の皇室典範には譲位に関する条文がないため、これを実現するには典範の改正が必須だ。専門家会議の諮問を経て改正案を用意するまでに1~2年ほどかかるという。

第125代明仁天皇は高齢だ。2002年の前立腺がん手術、2012年の心臓手術など何度も健康問題が浮上するたびに公務負担を減らすべきだという話が出てきた。これによって2011年、次男である文仁皇太子は激務に苦しめられる天皇にも定年制が必要だと主張した。譲位の最初の理由は健康問題かもしれないが、皇室典範の議論過程では明らかに天皇の過去と現在、未来に関する争論が展開するだろう。その波紋はもしかしたら日本の平和憲法改憲問題に次ぐものかもしれない。


小学生の感受性で戦争を目撃した明仁皇太子は、象徴天皇制のもとで天皇としての道を歩んだ。特に注目する部分は家庭教師をつとめた米国人女流作家エリザベス・ヴァイニング氏との出会いだ。1946年から4年間、皇太子は絶対平和主義を信奉するクエーカー教徒から英語とともに平和憲法の大切さを体得したという。「大衆天皇」に向かう最初のイベントは53年英国エリザベス女王の戴冠式の前後に推進された欧米14カ国歴訪の形式を借りて用意された。随行記者団は若い皇太子の動静を実況中継のように報道し、日本国民は半年以上にわたり洪水のようにあふれる記事に魅了された。

第2弾は皇太子の自由恋愛と結婚だった。58年から翌年まで製粉企業オーナーの娘である美智子氏との交際と結婚をめぐりあらゆるマスコミが激しい取材競争を繰り広げた。いわゆる「ミッチーブーム」だ。テニス場でデートを楽しむ「庶民」美智子氏と皇太子は大衆の愛を受ける「スター」と同じだった。結婚式後に挙行されたパレードを見ようと沿道には何と53万人が殺到した。

89年1月、大帝国から敗戦、経済大国などローラーコースターのようだった裕仁天皇の治世が幕を下ろした。56歳の新たな明仁天皇は「国民と共に日本国憲法を守って国運の進展と世界平和、人類福祉の増進を切実に希望する」」というメッセージを朗読して登場した。そして27年間、彼は機会があるたびに憲法と平和を叫んだ。2013年末の記者会見では「戦後の連合軍の占領下にあった日本は平和と民主主義を大切に思い、日本国憲法を作ってさまざまな改革を行って今の日本を積み重ねてきた」と話し、敗戦70周年である2015年1月には「満州事変から始まったこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本の姿を展望することが今非常に重要だ」と言及した。歴史修正主義を露骨化して改憲を成功させようとする現安倍政権下での発言だったという点を思い出す必要がある。インターネットでは「日本で最も現行憲法を尊重する護憲派の1人」という賛辞があふれ出ている。(中央SUNDAY第491号)



安倍首相の右傾化牽制する「百済系の天皇」…退位までは山また山(2)

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