数日前、私は済州(チェジュ)で寛勲(クァンフン)クラブ記者懇談会の討論者として参加して潘基文(パン・ギムン)国連事務総長を観察する機会を持った。人々の関心は、来年の大統領選挙に彼が出馬するのか、出馬すれば大統領になれるのかに注がれている。注がれているのは期待だ。期待が裏切られれば、あっという間に捨てられるのが大統領選挙政治の生理だ。彼は現職の国連事務総長らしい節制を維持しながら、時が来たら手順にそって政治に参加するだろうという意欲を十分に感じさせた。力を抜き過ぎていたら弱気に見え、常軌を逸していたら非難されただろう。国内外の支持者と反対者に考慮した絶妙なバランス感覚を見せた。
来年には彼の満年齢は73歳。「李承晩(イ・スンマン)・金大中(キム・デジュン)大統領が選出された時がそれぞれ73歳、72歳だ。歴代最高齢の大統領選挙挑戦者になるはずだが大丈夫か」という質問に潘総長は待っていたとばかりに話した。「李承晩大統領が当選した1948年と今の自然寿命の差は15~20年だ。米国の民主党大統領選の候補者(ヒラリー・クリントン氏、サンダース氏を指摘)も70歳、76歳だ。小学校の時から体調を崩して欠席したことが1度もない」。これ以上、何の解釈が必要だろうか。彼は「国連パスポートを返却して来年1月1日に韓国市民に戻ることになれば(大統領選挙への参加に対する)決心を明らかにする」と述べた。国連職員は所属国家の利益のために仕事をしてはいけない。潘総長は彼ができる最大限の表現法で大統領選出馬の意思を明らかにしたのだ。
彼は大統領になることができるだろうか。出馬は宣言すれば良いが、執権は戦略と行動が後に伴わなければならない。勢力と資金とメッセージが必須の要素だ。血だらけになっても最後まで前進するという「執権の理由」を自ら確保していなければならない。こうした要素が合わさって権力意志を構成する。権力意志は「突き出してみて、でなければやめて」というふうな権力欲、出世欲とは次元が違う。潘基文氏の権力意志はまだ証明されていない。朴槿恵(パク・クネ)大統領とセヌリ党との対面というテストを経なければならない。それで再び尋ねた。「朴大統領が、来年仕事を一緒にやってみよう(大統領選挙の支援)という趣旨の信号を送ったことがあるか」「潘総長はセヌリ党大統領候補の変数でなく定数だと親朴派のホン・ジョンムン議員が主張して回っている。どう思うか」。潘基文氏は「朴大統領の言質はありえない。そんなことは決してない」「私はホン議員を知っているが過去10年間、電話は1本もなかった」と答えた。
【時視各角】潘基文氏、玉の輿に乗れば滅びる=韓国(2)
来年には彼の満年齢は73歳。「李承晩(イ・スンマン)・金大中(キム・デジュン)大統領が選出された時がそれぞれ73歳、72歳だ。歴代最高齢の大統領選挙挑戦者になるはずだが大丈夫か」という質問に潘総長は待っていたとばかりに話した。「李承晩大統領が当選した1948年と今の自然寿命の差は15~20年だ。米国の民主党大統領選の候補者(ヒラリー・クリントン氏、サンダース氏を指摘)も70歳、76歳だ。小学校の時から体調を崩して欠席したことが1度もない」。これ以上、何の解釈が必要だろうか。彼は「国連パスポートを返却して来年1月1日に韓国市民に戻ることになれば(大統領選挙への参加に対する)決心を明らかにする」と述べた。国連職員は所属国家の利益のために仕事をしてはいけない。潘総長は彼ができる最大限の表現法で大統領選出馬の意思を明らかにしたのだ。
彼は大統領になることができるだろうか。出馬は宣言すれば良いが、執権は戦略と行動が後に伴わなければならない。勢力と資金とメッセージが必須の要素だ。血だらけになっても最後まで前進するという「執権の理由」を自ら確保していなければならない。こうした要素が合わさって権力意志を構成する。権力意志は「突き出してみて、でなければやめて」というふうな権力欲、出世欲とは次元が違う。潘基文氏の権力意志はまだ証明されていない。朴槿恵(パク・クネ)大統領とセヌリ党との対面というテストを経なければならない。それで再び尋ねた。「朴大統領が、来年仕事を一緒にやってみよう(大統領選挙の支援)という趣旨の信号を送ったことがあるか」「潘総長はセヌリ党大統領候補の変数でなく定数だと親朴派のホン・ジョンムン議員が主張して回っている。どう思うか」。潘基文氏は「朴大統領の言質はありえない。そんなことは決してない」「私はホン議員を知っているが過去10年間、電話は1本もなかった」と答えた。
【時視各角】潘基文氏、玉の輿に乗れば滅びる=韓国(2)
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