「良い感情、良い涙」(Good emotions, good tears)。 16日、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で国際ブッカー賞の受賞作が発表された時、涙を見せたのは韓江(ハンガン)氏ではなく翻訳家のデボラ・スミス氏(28)だった。そして短い2つの文章で自分の感情を整理した。
彼女の翻訳についてブッカー賞選定委員会は「驚くべき(marvel)」と述べた。主審のボイド・トンキン氏は「美しさと恐怖が絶妙に交じり合った作品を完ぺきに正しく翻訳した」と述べた。選定委は彼女の履歴にも驚いたようだ。最終審査に残った6作品の翻訳者のうち2人が20代だが、スミス氏がそのうちの一人で、21歳から韓国語を学び始めたからだ。
スミス氏はイングランド中部の小さな都市ドンカスター出身の文学少女だった。ケンブリッジ大英文科を卒業する頃、翻訳家になることに決めた。英国に韓国語翻訳本が少ないという判断から韓国語に決めた。スミス氏は「実用的な判断だった」と振り返った。
ロンドン大SOAS韓国学修士課程に進学する1年前に韓国語を独学した。翻訳者として第一歩はペ・スアの作品に引かれてのことだ。韓国文学翻訳院(KLTI)に翻訳申請をした。韓江氏の『菜食主義者』は2012年にある出版社から受けて知ったという。最初の翻訳は受け入れられなかった。翌年、別の出版社から「韓国語の本のうち(英語に翻訳して)出すほどのものはあるか」と尋ねられると、『菜食主義者』を思い出してもう一度翻訳した。
スミス氏は年初に韓江氏の『少年がくる』(Human Acts)も出し、世界有数のメディアから好評を受けた。ペ・スアの作品も今年10月の『エッセイストの机』をはじめ、来年1月には『ソウルの低い丘』が出版される。
スミス氏のツイッターのIDは@londonkoreanistだ。「キム・ボラ」という韓国名を使うほど韓国文学に愛着を持っている。最近、自分の出版社(Tilted Axis Press)も設立した。韓国文学の翻訳を通じてアジア文学が宝物の倉庫という点を確認したからだという。
スミス氏は受賞の所感で「韓国には世界的な作家が多いが、英語圏では誰も知らなかった。あたかも数十年前にフランスに行って(アルベール・)カミュを発見するようだ。(翻訳家を)しない理由はない」と語った。
彼女の翻訳についてブッカー賞選定委員会は「驚くべき(marvel)」と述べた。主審のボイド・トンキン氏は「美しさと恐怖が絶妙に交じり合った作品を完ぺきに正しく翻訳した」と述べた。選定委は彼女の履歴にも驚いたようだ。最終審査に残った6作品の翻訳者のうち2人が20代だが、スミス氏がそのうちの一人で、21歳から韓国語を学び始めたからだ。
スミス氏はイングランド中部の小さな都市ドンカスター出身の文学少女だった。ケンブリッジ大英文科を卒業する頃、翻訳家になることに決めた。英国に韓国語翻訳本が少ないという判断から韓国語に決めた。スミス氏は「実用的な判断だった」と振り返った。
ロンドン大SOAS韓国学修士課程に進学する1年前に韓国語を独学した。翻訳者として第一歩はペ・スアの作品に引かれてのことだ。韓国文学翻訳院(KLTI)に翻訳申請をした。韓江氏の『菜食主義者』は2012年にある出版社から受けて知ったという。最初の翻訳は受け入れられなかった。翌年、別の出版社から「韓国語の本のうち(英語に翻訳して)出すほどのものはあるか」と尋ねられると、『菜食主義者』を思い出してもう一度翻訳した。
スミス氏は年初に韓江氏の『少年がくる』(Human Acts)も出し、世界有数のメディアから好評を受けた。ペ・スアの作品も今年10月の『エッセイストの机』をはじめ、来年1月には『ソウルの低い丘』が出版される。
スミス氏のツイッターのIDは@londonkoreanistだ。「キム・ボラ」という韓国名を使うほど韓国文学に愛着を持っている。最近、自分の出版社(Tilted Axis Press)も設立した。韓国文学の翻訳を通じてアジア文学が宝物の倉庫という点を確認したからだという。
スミス氏は受賞の所感で「韓国には世界的な作家が多いが、英語圏では誰も知らなかった。あたかも数十年前にフランスに行って(アルベール・)カミュを発見するようだ。(翻訳家を)しない理由はない」と語った。
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