朴槿恵(パク・クネ)大統領が「与少野多3党国会」という新しい状況を迎えた。執権4年目を迎える朴大統領としては予想していなかったことだ。前日まで過半議席に対する期待を捨てていなかった青瓦台(チョンワデ、大統領府)は衝撃を受けた。青瓦台の参謀らは「これほどとは思っていなかった…」と言葉を続けられなかった。ある参謀は「残りの任期、国政をどう運営していくか心配」と話した。
朴大統領が処理を強く要求してきた労働改革法案やサービス産業発展基本法案など争点法案は、第19代国会の残りの会期内の処理はもちろん、第20代国会での処理も不透明になった。国政の運営を最後まで安定的に後押しする強力な執権与党を作ることができず、共に民主党と国民の党という野党2党と「与少野多」状況で新たに交渉をしなければいけないためだ。
「選挙の女王」と呼ばれる朴大統領は1998年に政界に入門した後、初めて「リング」の外で今回の総選挙を迎えた。大統領の選挙介入は法で禁止されているからだ。しかし朴大統領は機会があるたびにセヌリ党を援護してきた。特に昨年11月の国務会議で「今後、国民のために『真実の人』だけが選択されるようお願いする」と述べた後、繰り返し「国会審判論」を提起した。朴大統領の国会審判論は共に民主党を狙ったものだった。労働改革法案と経済活性化法を処理しない共に民主党を批判しながら国会審判論を提起してきたからだ。総選挙の前日の12日にも朴大統領は「民生安定と経済活性化にまい進する新しい国会が誕生しなければいけない」と間接的に国会審判論を取り上げた。
選挙介入論争にもかかわらず朴大統領が与党を後押ししたが、結果的に期待に及ばない選挙結果となった。任期を1年10カ月ほど残して迎えた「与少野多3党体制」という険しい道が登場した。
<韓国総選挙>国会権力、16年ぶり野党へ…朴大統領、残りの任期は険しい道(2)
朴大統領が処理を強く要求してきた労働改革法案やサービス産業発展基本法案など争点法案は、第19代国会の残りの会期内の処理はもちろん、第20代国会での処理も不透明になった。国政の運営を最後まで安定的に後押しする強力な執権与党を作ることができず、共に民主党と国民の党という野党2党と「与少野多」状況で新たに交渉をしなければいけないためだ。
「選挙の女王」と呼ばれる朴大統領は1998年に政界に入門した後、初めて「リング」の外で今回の総選挙を迎えた。大統領の選挙介入は法で禁止されているからだ。しかし朴大統領は機会があるたびにセヌリ党を援護してきた。特に昨年11月の国務会議で「今後、国民のために『真実の人』だけが選択されるようお願いする」と述べた後、繰り返し「国会審判論」を提起した。朴大統領の国会審判論は共に民主党を狙ったものだった。労働改革法案と経済活性化法を処理しない共に民主党を批判しながら国会審判論を提起してきたからだ。総選挙の前日の12日にも朴大統領は「民生安定と経済活性化にまい進する新しい国会が誕生しなければいけない」と間接的に国会審判論を取り上げた。
選挙介入論争にもかかわらず朴大統領が与党を後押ししたが、結果的に期待に及ばない選挙結果となった。任期を1年10カ月ほど残して迎えた「与少野多3党体制」という険しい道が登場した。
<韓国総選挙>国会権力、16年ぶり野党へ…朴大統領、残りの任期は険しい道(2)
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