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【時視各角】子供を殺す親たち=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
それでも依然として気持ちが引っかかる。制度的仕組みさえつくれば児童虐待が解決されるということでもないようだからだ。その理由はまず暴力の程度だ。虐待児童が死に追い込まれるやり方はぞっとするものだ。巨体の父親が子供をサンドバッグのように殴り、寒い冬に子供に漂白剤をばらまいて浴場に閉じ込めて…。ところで親たちは死ぬとは思わなかったと抗弁する。それで殺人罪の適用も難しくする。

どれほど人を虐待すれば死ぬのかが無知なのだ。無知を育てる要因もある。韓国社会には暴力性をそそのかすコンテンツが豊富だ。テレビや映画では暴力シーンを除いて観ることがないほどだ。実際ならば5回以上は死ぬぐらいの暴力でも主人公は完全に立ち上がり、翌日また別の暴力の現場へと走って行く。このようなメディア暴力が実際に視聴者の暴力性を増進させるという研究結果は1960年以来、無数に出てきた。片方で暴力をそそのかしながら、もう一方では制止するメカニズムでもなければならない。しかしそのような仕組みはない。

また児童虐待は人類の根深い遺産だ。児童虐待被害者だった精神医学者アリス・ミラーは「しつけのために愛のムチを持つというのは偽り」といった。モーゼの10戒律の中で「親を敬いなさい」という4戒律以来、親が非合理的な暴力を行使しても子供たちはこれを受け入れて親に隷属する虐待の連鎖が続いてきたということだ。しつけは親の権利であり子供は親の私有物だというイデオロギーは広範囲な社会的支持の中で人類の習慣になり、虐待家族も後日の容赦と和解で家族愛を回復するという神話を再生産した。しかしミラーは「容赦は治癒を生むことはできない」と言った。許さなければいけないようなことをされた人は、そのまま病気になってしまうということだ。


児童虐待のない社会に向かう道は遠い。最悪の親のための制度的な仕組みの用意はもちろん急務だ。ところで、ここで立ち止まってはいけない。児童虐待が何なのか定義するこまかいマニュアルを作って、人類史に綿々と受け継がれてきた児童虐待の遺産を根絶しようとする哲学的な悩みに進まなければならない。そして子供と親は、それぞれのオブジェクトとして尊重すべき相手であって、互いに隷属した関係ではないという意識改造の作業まで行わなければならない。子供は花でも殴ってはいけない。

ヤン・ソンヒ論説委員



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