最近、山元町を訪れた。津波の跡は簡単に見つかった。空き家の跡地と荒れ地のように放置された田畑、仮設住宅で依然、かろうじて暮らしている一部の住民たち。時間はいち早く流れたが、傷は癒えないままだった。東日本大震災前の山元町は、日本でも指折りのイチゴ生産地だった。ところがイチゴ農地の95%が荒々しい波に飲み込まれながら農家は絶望に陥った。
一筋の光も見られなかった状況。崖っぷちから彼らを救ったのは農作業の経験が全くなかったベンチャー企業家だった。岩佐大輝さん(38)は、東京のIT企業をたたんで故郷の人々のそばに戻って来た。町内を歩き回りながら「復興のためには何が必要でしょうか?」と何度も尋ねた。答えを探すのは容易ではなかった。6カ月が過ぎたある日、質問を変えるとすぐに問題が解けた。「町の自慢の種は何だったのでしょうか?」と尋ねると、すぐに住民たちは口をそろえて「イチゴ」と叫んだ。
一筋の光も見られなかった状況。崖っぷちから彼らを救ったのは農作業の経験が全くなかったベンチャー企業家だった。岩佐大輝さん(38)は、東京のIT企業をたたんで故郷の人々のそばに戻って来た。町内を歩き回りながら「復興のためには何が必要でしょうか?」と何度も尋ねた。答えを探すのは容易ではなかった。6カ月が過ぎたある日、質問を変えるとすぐに問題が解けた。「町の自慢の種は何だったのでしょうか?」と尋ねると、すぐに住民たちは口をそろえて「イチゴ」と叫んだ。
この記事を読んで…