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<ノーベル賞の話>クラゲの祝福-2008年ノーベル化学賞-

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
一般的にノーベル賞と言えば天才科学者の創意的な成果を思い出させる。だが平凡な科学者であってもチャンスが与えられたら、考えたアイデアと成果で受賞する人も結構いる。夜にクラゲを見るときらめくような光が出てくるが、そのような光を出すたんぱく質の1つが緑色蛍光たんぱく質(GFP)だ。下村脩はGFPの生化学性質を明らかにし、マーティン・チャルフィーとロジャー・チエンはGFPの応用の可能性を開いた業績で2008年にノーベル賞を受賞した。波及効果の大きい成果でもあったが、彼らがこの件でノーベル賞を受賞すると予想した人はほとんどいなかった。

米国プリンストン大学とウッズホール海洋研究所で働いていた下村は1961年から88年の間に19回、西海岸に行って毎日3000匹のクラゲを採集することを繰り返し計85万匹からクラゲのたんぱく質を分離して研究した。彼は良い生化学者だったが、学界を揺るがすほどの成果を出した人ではない。

チャルフィーは米国コロンビア大学の教授として小さなミミズのような生物体を研究する人だったが、実際にノーベル賞を受賞したのはクラゲのGFPのためだった。チャルフィーは92年にセミナーを聞いてGFPを利用すれば良いという気がして、その遺伝子を分離しているというダグラス・プラッシャーに電話をかけてDNAを送ることができるかと尋ねる。プラッシャーはまだ進行中だから完成したら送ると約束した。しかしチャルフィーが研究で席を外していた間に連絡が取れなくなり1年後にDNAを受けとることになる。チャルフィーの大学院生がGFP遺伝子を大腸菌に入れて蛍光を見ようとしたが、チャルフィー実験室の顕微鏡では見られなかった。ちょうどその大学院生が以前に仕事をしていた実験室には良い顕微鏡があった。彼は大腸菌を持っていき、そこに行って蛍光を見る。それから1年後、チャルフィーはミミズからGFPはもちろん、それと融合した別のたんぱく質も光を出せるということを明らかにする。2年ほど仕事をしてノーベル賞の業績が出てきたので運の良い人だ。


チエンはGFPが多様な色を出せるように変形して応用性を精一杯高めた。下村はこの2人がGFPの有用性を高めなかったら光たんぱく質の分野に寄与した生化学者程度として記録に残っていただろう。

ここで気がかりなことが生まれる。ノーベル賞の研究の出発点だったGFP遺伝子を分離したプラッシャーはなぜ受賞できなかったのだろうか。ノーベル賞が発表された当時、プレッシャーはアリゾナでバス運転手として働いていた。プラッシャーのドラマチックな人生史は次の会で扱うことにしよう。



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