米国プリンストン大学とウッズホール海洋研究所で働いていた下村は1961年から88年の間に19回、西海岸に行って毎日3000匹のクラゲを採集することを繰り返し計85万匹からクラゲのたんぱく質を分離して研究した。彼は良い生化学者だったが、学界を揺るがすほどの成果を出した人ではない。
チャルフィーは米国コロンビア大学の教授として小さなミミズのような生物体を研究する人だったが、実際にノーベル賞を受賞したのはクラゲのGFPのためだった。チャルフィーは92年にセミナーを聞いてGFPを利用すれば良いという気がして、その遺伝子を分離しているというダグラス・プラッシャーに電話をかけてDNAを送ることができるかと尋ねる。プラッシャーはまだ進行中だから完成したら送ると約束した。しかしチャルフィーが研究で席を外していた間に連絡が取れなくなり1年後にDNAを受けとることになる。チャルフィーの大学院生がGFP遺伝子を大腸菌に入れて蛍光を見ようとしたが、チャルフィー実験室の顕微鏡では見られなかった。ちょうどその大学院生が以前に仕事をしていた実験室には良い顕微鏡があった。彼は大腸菌を持っていき、そこに行って蛍光を見る。それから1年後、チャルフィーはミミズからGFPはもちろん、それと融合した別のたんぱく質も光を出せるということを明らかにする。2年ほど仕事をしてノーベル賞の業績が出てきたので運の良い人だ。
チャルフィーは米国コロンビア大学の教授として小さなミミズのような生物体を研究する人だったが、実際にノーベル賞を受賞したのはクラゲのGFPのためだった。チャルフィーは92年にセミナーを聞いてGFPを利用すれば良いという気がして、その遺伝子を分離しているというダグラス・プラッシャーに電話をかけてDNAを送ることができるかと尋ねる。プラッシャーはまだ進行中だから完成したら送ると約束した。しかしチャルフィーが研究で席を外していた間に連絡が取れなくなり1年後にDNAを受けとることになる。チャルフィーの大学院生がGFP遺伝子を大腸菌に入れて蛍光を見ようとしたが、チャルフィー実験室の顕微鏡では見られなかった。ちょうどその大学院生が以前に仕事をしていた実験室には良い顕微鏡があった。彼は大腸菌を持っていき、そこに行って蛍光を見る。それから1年後、チャルフィーはミミズからGFPはもちろん、それと融合した別のたんぱく質も光を出せるということを明らかにする。2年ほど仕事をしてノーベル賞の業績が出てきたので運の良い人だ。
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