韓国駐箚(ちゅうさつ)軍司令官の官邸として使われたソウル中区小公洞(チュング・ソゴンドン)の大観亭で撮影された乙巳勒約の記念写真。帽子をかぶってつえをついた老人(1列目左側から5番目)が朝鮮統監だった伊藤博文だ。この写真は以前公開されたものだが、それには1番右側の着物姿の日本人女性が抜けていた。
韓国駐箚軍司令部が駐留した大観亭の正門前で日本軍の兵士2人が警備に立っている。
憲宗の継妃である孝定王后の国葬と推定される写真。行列が東大門(トンデムン)の外から景陵(キョンルン)側に向かっている。
該当司令部は1904年4月ソウル中区小公洞(チュング・ソゴンドン)の大観亭(現ウェスティン朝鮮ホテル近隣)に駐留していた。正門には「韓国駐箚軍司令部」という文字が鮮明に記されている。日本は韓半島(朝鮮半島)に対する主導権をめぐってその年2月にロシアと戦争を行い、同年4月ソウルに初めて軍司令部を設置した。
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