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「ものづくりで武装した日本技術者、中小企業に大きな資産」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
1961年、故・全仲潤(チョン・ジュンユン)三養(サムヤン)食品会長はラーメン製造に参入することにした。米軍が食べ捨てた残りもので作った「クルクリ粥」もなく食べられない人々の姿を見たからだった。日本の明星食品本社に行った。技術確保のためだった。当時の明星食品の奥井清澄社長は全会長に「第2次大戦で崩壊した日本が朝鮮戦争(韓国戦争)で立ち直ったので借りを返す時だ」として支援するといった。だがスープ配合の比率は伝えなかった。挫折しながら国内に戻る飛行機の座席に座った。その時だった。奥井社長の秘書が静かにやってきて封筒を渡した。配合比率が入っていた。国内で最初のラーメンである三養ラーメンはこうして誕生した。

50年余りが流れた。両国間は良い時も悪い時もあった。だが企業家の交流と協力は続いた。韓日産業技術協力財団の「日本退職技術者誘致事業」もその1つだ。国内の中小企業は日本の職人精神である「ものづくり」で武装した技術者の指導を受けながら成長している。

◆不良改善し、日本にも輸出


昨年末、ダリンの慶尚南道馬山(キョンサンナムド・マサン)の本社会議室。品質チーム社員は夜遅くまで会議をした。アモーレパシフィックとLG生活健康に新しく納品したモデルに発生した不良のためだった。内容物が漏れ出し、何度か使えば製品が分離した。納品キャンセルの話まで出てきた。キム・ジョンス会長が話した。「業界1位である私たちが解決しなければ国内で解決できる所はない。日本の技術者に諮問する事業があったというから、それを一度やってみよう」。

ダリンは日本の技術者を1月から顧問に招き入れた。彼は日本の霧吹き会社であるキャニオンに35年間勤めて品質管理室長などをつとめた。この日本人顧問は部品サイズの偏りを問題として挙げた。「組み立て過程に問題がある」という会社の診断とは違う分析だった。主な部品のサイズを0.1~0.3ミリずつ調整した。摩擦を減らすために一部は丸い形に変えた。不良が改善した。

会社の「体質改善」にも努力することを要請した。日本人顧問は製造工程を分けた後、改善点を出した。原材料の倉庫の黒い床は明るいペイントで塗るようにした。異質物が常に見えるようにするためだ。配合工程ではホコリを外に取り出せる集塵設備を取り付けた。組み立てラインの照明は全て明るいLED(発光ダイオード)に変えた。電力コストも大幅に減った。リフト車や手押し車も内外部用を徹底的に区別して使うようにした。ダリンのチョン・ジンモ管理理事は「小さな部分も軽く見逃さなかった」として「渾身の力で最高の製品を作る『ものづくり』精神を実感できた」と語った。

日本への輸出にも助けになった。ベッセルジャパンに1000万ウォン相当の初めての製品を納品した。年間3億ウォン規模の契約につながると予想されている。ナリス、東洋ビューティーなどとも輸出を協議中だ。チョン理事は「1-3月期の売り上げだけで97億ウォンで、前年同期比10%以上上がった」として「会社が10年、20年成長できる体質向上の大きな助けとなった」と説明した。



「ものづくりで武装した日本技術者、中小企業に大きな資産」(2)

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