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言葉を変えた日本…端島のどこにも強制徴用の記録はなかった

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
北東アジア歴史財団は韓中日共同歴史教科書開発のために歴史現場に対する理解度を高めるという趣旨で21日から学界関係者らとともに端島などを現地調査した。踏査で確認された事実は歴史に対する韓日間の大きな認識の差だ。まず端島が「地獄島」という別称で呼ばれたという事実は日本ですらほとんど知られていなかった。長崎港のチケット売り場の横には端島内部の姿が分かる模型があった。模型にはアパートや病院などがぎっしりと詰まっており、しっかりと組まれた計画都市ということがわかる。だが、案内文や観光パンフレットのどこにも当時ここに朝鮮人と中国人が強制的に連れてこられて働き、朝鮮人数百人が死亡したり失踪したという言及はなかった。


日本は強制徴用を意味する説明文面(forced to work)を追加すると約束し、これを前提に端島のユネスコ登録が決定された。だが日本はその後「forced to work」が強制労働を意味するのではないと翻意した。約束を破ったのだ。端島のガイドは「朝鮮人は月給をもらって働いた労働者」と主張した。




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