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【コラム】昔のものより最新式に没頭する韓国社会

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
短い秋が過ぎ、憎らしい初冬の冷たい風が最後に残った葉を落とす。徳寿宮(トクスグン)の石垣の道でも、大学のキャンパスでも落葉が木の根元へと帰っていく。「サクサク、サクサク」。環境美化員のおじさんたちが落葉をほうきで片づけている。

韓国に初めに来た時、美しい紅葉が落ちるとすぐに片づけるのを見てとても驚いた。ある秋の日の朝、出勤しながら一度に落ちた葉を踏みしめた思い出が生き生きとよみがえる。まるでやわらかいカーペットの上を歩くような感じだった。ところがその落葉がその日のうちに行方も分からないほど片づけられてしまい、とても残念だった。自然な秋の雰囲気は消え、寂しくてやせこけた道路だけが残り、かなり失望した。

もちろん雨が降れば落葉のためにすべりやすくて多少不便だが、それでも水にぬれた落葉、そして少し煙たいその匂いがまさに秋の情緒だと思う。ロシアでは落葉を急いで片づけない。ロシアでは韓国とは違いどんなことでも早く処理することをそんなに重要に考えていない。


一方で韓国の人々は落葉だけでなく、少し古かったり過ぎ去ったりしたものを急いできれいに片づける傾向がある。特に先端の情報通信技術時代に韓国では落葉のように軽く扱われて捨てられてしまうものが多すぎる。店の看板やインテリアはもちろん、携帯電話・自動車・食べ物など何でも新しいものに交換するのに忙しい。

韓国に来てみると誰もが最新の携帯電話を持っているのを見て驚いた。一度購入したら5年以上は使う外国人とは違う。韓国社会は古くなったものを良くないと考えて何でも最新であることを非常に重要視しているようだ。実際もう少し使ってもかまわないものなどを、なぜ必ず変えなければいけないのか疑問を感じたことが一度や二度ではない。恐らく孔子の思想が根深い韓国社会で、ほかの人々の前に見えるものを重視する文化的な影響ではないのかと推測してみる。若者たちは他人と似たようにするよう推奨している社会の雰囲気から抜け出すために最新の物を購入して自身を差別化したがるのかもしれない。

韓国に住みながら韓国と日本の社会トレンドに類似点が多いという言葉をしばしば聞く。だが日本に行ってみると日本の人々が最新式よりも長く使えるものを好むという事実を知ることになった。韓日間のこのような差は仏教の寺刹でも確認できる。日本の寺刹に行ってみると、まるで落葉のように建物が古かった。一方で韓国の仏教の寺刹はしばしば色を新しく塗り変えたためか、新しい建物がむしろ不自然だった。

新しいものをつくり出す創造は良いことであり意味がある。新しいものを追求する努力のおかげで韓国もこれほどまでに発展できた。だが新しいものにばかり執着して昔のものをあまりにも軽くとらえていないか、一度ぐらい考えてみるべき問題だ。毎日新しくなる「日新又日新」も重要だが、昔のことを知って新しいことが分かる「温故知新」の美徳を一度ぐらい考えてみたらどうだろうか。

イリーナ・コルグン韓国外国語大学教授(中央SUNDAY第455号)



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