『日本古地図選集』に掲載された林子平の1802年の「大三国之図」。鬱陵島(ウルルンド)と独島(ドクト)の部分(左側上)には、当時の日本の鬱陵島と独島の呼称「竹嶋」「松嶋」と表記され、「朝鮮のもの(朝鮮ノ持之)」という説明がある。尖閣諸島(中国名・釣魚島、左側下)は島の下側を中国と同じ色を塗り、中国の領土であることを表示している。(写真=ウリムンファカックギ会)
特に「大三国之図」は林子平が1785年に制作した「三国通覧輿地路程全図」を修正・補完したものだ。日本の本土のほか、周辺国の朝鮮、流球・蝦夷などをそれぞれ異なる色で塗り、各国の境界を明確にした。黄色で塗られた朝鮮国の右側の海に鬱陵島と独島を並べ、同じ色を塗って両島を朝鮮領土に含めている。大きな島には当時の日本の鬱陵島の呼称である「竹嶋」、小さな島には当時の独島の呼称だった「松嶋」が表記されていて、その隣に「朝鮮のもの(朝鮮ノ持之)」という説明まで付いている。イ・ジンミョン編纂委員長(仏リヨン第3大学名誉教授)は懇談会で「大三国之図は韓国はもちろん日本や中国にもまだ知られていない。『独島は日本固有の領土』という主張が虚構であることをはっきりと示す重要な資料」と説明した。
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