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<光復70年臨時政府の痕跡を探して>(下)独立運動家尹奉吉の胸像にお辞儀をする中国人たち(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

「統一念願臨時政府大長征」参加者たちが2日、最後の日程として上海魯迅公園を訪れた。1932年、尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が義挙した魯迅公園には尹奉吉義士記念館がある。訪問当時、尹奉吉義士を慕ってきたという現地住民らが一行を歓迎するとして筆をとり、地面に水で「正義必勝、当代英雄尹奉吉義士」などのハングル文字を書いた。(写真=民主平和統一)

尹奉吉(ユン・ボンギル)義士。(写真=民主平和統一)

映画『暗殺』には独立活動家の金元鳳(キム・ウォンボン)が船に乗って水上家屋の間を通り過ぎ、臨時政府事務室で白凡・金九(キム・グ)に会う場面が出てくる。映画の字幕には「杭州」と出てくるが、実際このシーンを撮影した場所は浙江省嘉興市だ。1932年日帝の検挙の嵐を避けて白凡は嘉興に避難し、車で2時間の所にある杭州臨時政府庁舎を行き来しながら独立運動を続けた。嘉興の梅湾街76号の避難所は、白凡の寝室などかつての様子がそのまま記念館となっている。

白凡の避難生活はスパイ映画を彷彿とさせた。彼は日本軍が突然押しかけることに備えてベッドのそばに湖へと直接通じる秘密の脱出口を用意しておいた。湖畔には非常時に乗って逃走できる小さな船が常に結ばれていた。その頃、白凡は娘船頭の朱愛宝と偽装結婚して密偵の目を避けていた。皆が楮輔成・上海法大総長がつくった緻密な脚本で助けたおかげだった。白凡の避難生活は中国作家・夏輦生によって小説化されて5部作のドラマにもなった。金九先生は『白凡日誌』で「朱愛宝を故郷へ送りかえす時に旅費を100ウォンしか与えられないことが重ねがさね悔やまれる」と記していた。現地で会った楮輔成の内孫の楮離貞は「白凡を尊敬していた祖父の指示によって家の人々全員が金九先生が独立運動ができるよう助けた」として「金九先生の孫であるキムさん(元報勲処長官)ら子孫とは家族ぐるみの交流が続いている」と話した。

韓国の独立活動家に対する中国人の尊敬と欽慕は数十年が過ぎた今まで続いている。尹奉吉義士の義挙現場である上海魯迅公園(旧虹口公園)でもこれを確認できる。2日「臨時政府大長征」踏査団がここを訪れた際、多くの中国現地人が尹義士の胸像に頭を下げてお辞儀をしている姿を目かけた。ある中国人の年配者は公園の地面に「当代英雄尹奉吉義士、永遠に記念」と書いていた。梅軒・尹奉吉義士記念事業会側は「尹奉吉義士の義挙日に合わせ中国人が献詩を作って送ってきたりもする」と紹介した。義挙当時の「中国の百万大軍もできないことを朝鮮の青年がやり遂げた」と称賛した中国の指導者蒋介石が尹義士に対する献詩を書いて送って以来、80年を超えても中国人の尹奉吉義士への崇慕が続いているのだ。

<光復70年臨時政府の痕跡を探して>(下)独立運動家尹奉吉の胸像にお辞儀をする中国人たち(2)

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