幸い、韓日中首脳会談が11月1日にソウルで開催される。今回の会議は3カ国首脳が北東アジアの未来について率直に対話し、インフラ構築、金融・教育・安保など幅広い分野で具体的な協力の青写真を作る重要な契機になるだろう。また、3カ国首脳が従来の強硬一辺倒の姿勢から抜け出し、北朝鮮問題の解決、さらに進んで統一に向けた長期的な計画の樹立につながることを希望する。
しかし何よりも重要な問題は、韓日中首脳会談を持続可能にすると同時に、3カ国間の隔たりの中でも定期的に開催できる案を探すことだ。そのために首脳会談は、よくリムジンに象徴される高位外交官に限られた会談から一歩先に進むべきではないだろうか。例えば3カ国の小学校間の多様な交流活動を含め、芸術家と映画製作者および非政府組織(NGO)間の共同プロジェクト進行にいたるまで、その領域をあらゆるレベルに拡張していく必要がある。
そのカギは革新と創意だ。文化的な要素と親近感ある交流を通じて、首脳間で緊密な関係が樹立されなければならない。しかしさらに重要なのは今回の会談が従来の首脳間の会談の枠を崩す契機にすることだ。よく外交といえば硬い表情の外交官が自国の確固たる立場に基づいて駆け引きする過程を繰り返し、自らの利益を追求する多分に意識的な行為を連想する。しかしすべてがそうではない。激しい意見交換の過程の中でも外交の主役が精神的な交感を通じて一歩ずつ退くことで、会談が終わった後には認識の違いを大きく狭め、ともに「ウィンウィン」する新しい地平が開かれたりもするからだ。
その過程での官僚集団の強い抵抗を考慮すれば、わずか1回の首脳会談が驚くべき変化を誘発すると期待するのは難しい。それでも何か象徴的であると同時に「インパクトのある」行動を通じて、首脳会談の基調を変える一種の「好循環過程」を誘発することもできるのではないだろうか。
最近ワシントンを訪問したフランシスコ法王は、当初予定されていた米国政治家との会談を後に回し、突然ホームレスと一緒に昼食を取り、みんなを驚かせた。法王のこうした行動は周囲の人々に深い感動を与えただけでなく、すべての議論の基調をあっという間に変える。
韓日中3カ国首脳がソウルのある自閉症児童学校を数時間訪問して児童と遊ぶことができれば、どれほどよいことだろうか。そのような出会いの価値は言葉では言い表せない。大変な挑戦に直面した児童と会う時間を持つ指導者の姿に、一般市民が感銘を受けるだけでなく、首脳自身も難しい交渉からしばらく抜け出し、若者たちと一緒に交わり、人類の共通言語である「親切」を体で示すことができるのではないだろうか。そのような経験こそ首脳間の議論に驚くべき人間的な活力を吹き込むことができるだろう。
よく外交行事は当事者同士がタイトな日程の中で行う交渉と、儀典行事と散歩やテニスなどを通じて楽しい時間を持つ非公式行事に分かれる。しかし3人の指導者の間でお互い違う次元の相互作用が可能な別の空間を作り出すことも可能ではないだろうか。自国が直面した挑戦を話しながらも、これを硬い交渉の一部ではなく、お互い胸襟を開いてする真摯で知的な意見交換の時間のことだ。
指導者が形式的、公式的な役割に縛られるより、お互い知的な共感を交わす空間を作れば、きっと相互関係を深めるのに大きく役立つだろう。こうした交流を通じてお互い少しでも知的好奇心を誘発することができれば、首脳会談に関係する公式的な部分までも大きく変えることができるのではないだろうか。
最後にこうした硬い雰囲気の会議で音楽家など芸術家が見せる魔術のような能力を無視することはできない。首脳会談で厳格な儀式や儀典だけに従えば、従来の枠を崩す斬新な考え方はしにくい。このような時にミュージシャンや画家を引き込めば、あっという間に雰囲気が変わることもある。芸術家が国家元首とともに対話をしたり、イシューを眺める異色で創意的な方法を提示できないだろうか。その場合、指導者の間の障壁を取りはらうだけでなく、問題解決の新しい突破口が生じることもあるだろう。この時、笑いを誘うコメディは問題解決により柔軟で創意的な解決策を見いだす有用な手段になることもある。
今回の首脳会談のモットーを現代経営学の大家ピーター・ドラッカーから借りればどうか。「問題を『解く』のではなく、新しい機会を探そう!」(Don’t Solve Problems-Pursue Opportunities!)]
もし問題だけに集中し、これを解決する方法を探すことに没頭すれば、我々の目に見えるものはただ問題だけだ。しかしブレーンストーミングを通じて問題自体より新しい機会と潜在性に視線を向ければ、その過程で起きる知的興奮と楽観的思考が自ずと問題解決の糸口を開くのではないだろうか。
エマニュエル パストリッチ 慶熙(キョンヒ)大学国際大学教授
しかし何よりも重要な問題は、韓日中首脳会談を持続可能にすると同時に、3カ国間の隔たりの中でも定期的に開催できる案を探すことだ。そのために首脳会談は、よくリムジンに象徴される高位外交官に限られた会談から一歩先に進むべきではないだろうか。例えば3カ国の小学校間の多様な交流活動を含め、芸術家と映画製作者および非政府組織(NGO)間の共同プロジェクト進行にいたるまで、その領域をあらゆるレベルに拡張していく必要がある。
そのカギは革新と創意だ。文化的な要素と親近感ある交流を通じて、首脳間で緊密な関係が樹立されなければならない。しかしさらに重要なのは今回の会談が従来の首脳間の会談の枠を崩す契機にすることだ。よく外交といえば硬い表情の外交官が自国の確固たる立場に基づいて駆け引きする過程を繰り返し、自らの利益を追求する多分に意識的な行為を連想する。しかしすべてがそうではない。激しい意見交換の過程の中でも外交の主役が精神的な交感を通じて一歩ずつ退くことで、会談が終わった後には認識の違いを大きく狭め、ともに「ウィンウィン」する新しい地平が開かれたりもするからだ。
その過程での官僚集団の強い抵抗を考慮すれば、わずか1回の首脳会談が驚くべき変化を誘発すると期待するのは難しい。それでも何か象徴的であると同時に「インパクトのある」行動を通じて、首脳会談の基調を変える一種の「好循環過程」を誘発することもできるのではないだろうか。
最近ワシントンを訪問したフランシスコ法王は、当初予定されていた米国政治家との会談を後に回し、突然ホームレスと一緒に昼食を取り、みんなを驚かせた。法王のこうした行動は周囲の人々に深い感動を与えただけでなく、すべての議論の基調をあっという間に変える。
韓日中3カ国首脳がソウルのある自閉症児童学校を数時間訪問して児童と遊ぶことができれば、どれほどよいことだろうか。そのような出会いの価値は言葉では言い表せない。大変な挑戦に直面した児童と会う時間を持つ指導者の姿に、一般市民が感銘を受けるだけでなく、首脳自身も難しい交渉からしばらく抜け出し、若者たちと一緒に交わり、人類の共通言語である「親切」を体で示すことができるのではないだろうか。そのような経験こそ首脳間の議論に驚くべき人間的な活力を吹き込むことができるだろう。
よく外交行事は当事者同士がタイトな日程の中で行う交渉と、儀典行事と散歩やテニスなどを通じて楽しい時間を持つ非公式行事に分かれる。しかし3人の指導者の間でお互い違う次元の相互作用が可能な別の空間を作り出すことも可能ではないだろうか。自国が直面した挑戦を話しながらも、これを硬い交渉の一部ではなく、お互い胸襟を開いてする真摯で知的な意見交換の時間のことだ。
指導者が形式的、公式的な役割に縛られるより、お互い知的な共感を交わす空間を作れば、きっと相互関係を深めるのに大きく役立つだろう。こうした交流を通じてお互い少しでも知的好奇心を誘発することができれば、首脳会談に関係する公式的な部分までも大きく変えることができるのではないだろうか。
最後にこうした硬い雰囲気の会議で音楽家など芸術家が見せる魔術のような能力を無視することはできない。首脳会談で厳格な儀式や儀典だけに従えば、従来の枠を崩す斬新な考え方はしにくい。このような時にミュージシャンや画家を引き込めば、あっという間に雰囲気が変わることもある。芸術家が国家元首とともに対話をしたり、イシューを眺める異色で創意的な方法を提示できないだろうか。その場合、指導者の間の障壁を取りはらうだけでなく、問題解決の新しい突破口が生じることもあるだろう。この時、笑いを誘うコメディは問題解決により柔軟で創意的な解決策を見いだす有用な手段になることもある。
今回の首脳会談のモットーを現代経営学の大家ピーター・ドラッカーから借りればどうか。「問題を『解く』のではなく、新しい機会を探そう!」(Don’t Solve Problems-Pursue Opportunities!)]
もし問題だけに集中し、これを解決する方法を探すことに没頭すれば、我々の目に見えるものはただ問題だけだ。しかしブレーンストーミングを通じて問題自体より新しい機会と潜在性に視線を向ければ、その過程で起きる知的興奮と楽観的思考が自ずと問題解決の糸口を開くのではないだろうか。
エマニュエル パストリッチ 慶熙(キョンヒ)大学国際大学教授
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