「私はいつだってエドワード・リーが殺したと分かっている。私がここにいるということが依然として衝撃的であり正しくない」
18年前に発生した「梨泰院(イテウォン)殺人事件」のアーサー・パターソン被告(36、事件当時18歳)が23日午前4時24分、仁川(インチョン)空港を通じて引き渡された。上下白の服を着て出てきたパターソン被告は「容疑を認めるか」という取材陣の質問にこのように答えた。罪悪感は見られなかった。今後展開する厳しい法廷攻防の予告のようだった。
1999年に米国に逃亡して16年ぶりに引き渡されたパターソン被告はソウル拘置所に収監されており、ソウル中央地方裁判所刑事第27部審理で来月再開される予定の裁判の準備をする。
97年4月3日午後9時50分ごろ、梨泰院のハンバーガー店のトイレで弘益(ホンイク)大学に通っていたチョ・チュンピル氏(当時22歳)が首や胸など凶器で9回も刺されて亡くなった。申告を受けた米軍犯罪捜査隊(CID)は3日後に米第8軍領内のホテルでパターソン被告を逮捕した。米第8軍の下水口からはパターソン被告が捨てた長さ9.5センチの刃物も発見した。特に「パターソンが殺人をしたと打ち明けた」という周囲の人の情報提供も確保された。CIDは在韓米軍の軍人の息子であるパターソン被告が犯人だと判断し、身柄をソウル龍山(ヨンサン)警察署強力第1チームに引き渡した。
だがトイレの中にはパターソン被告と一緒にエドワード・リー元被告(当時18歳)がいたことが分かり複雑になった。リー元被告は事件発生から5日後に自首した。警察調査でパターソン被告はエドワード・リー元被告を、リー被告はパターソン元被告を犯人だと主張した。警察は「2人を共同正犯で起訴しなければならない」という意見を付けて事件をソウル中央地検刑事3部に送った。検察の判断は違った。リー元被告の単独犯行として結論を出し、リー元被告に殺人罪を、パターソン被告には証拠隠滅・凶器所持罪だけを適用して拘束起訴した。亡くなったチョさん(176センチ)よりも背が高い者の犯行である可能性が高いという法医学者の解剖検査の結果が主な根拠だった。リー元被告は身長180センチ、体重105キロで、パターソン被告は172センチ、63キロだった。リー元被告は1審で無期懲役、2審で懲役20年を宣告された。だが最高裁は「さまざまな情況上、リー元被告の単独犯行とみるのは難しい」としてリー元被告を無罪判決とした。パターソン被告は98年8・15の特別赦免で出所した後、99年8月米国に逃走した。12年が流れ再捜査に出た検察は2011年、パターソン被告を殺人罪で起訴して強制召還に出た。新しく導入された血痕分析技法で犯行を再演したところパターソン被告が犯人として出てきたという理由だった。
今後の裁判で検察はパターソン被告の犯行を立証しなければならない。18年前の事件のため新たな証拠を探すことも、パターソン被告の自白を聞いたという目撃者を証人として立てるのも難しい。現在としてはパターソン被告を犯人だと目星をつけた米国CIDの報告書が法廷証拠に採択されるかがカギだ。チョさんの母親は23日「毎日パターソン被告が捕まるようにしてほしいと祈っていた」として「今からでも裁判を受けられるようになって幸運だ」と話した。
18年前に発生した「梨泰院(イテウォン)殺人事件」のアーサー・パターソン被告(36、事件当時18歳)が23日午前4時24分、仁川(インチョン)空港を通じて引き渡された。上下白の服を着て出てきたパターソン被告は「容疑を認めるか」という取材陣の質問にこのように答えた。罪悪感は見られなかった。今後展開する厳しい法廷攻防の予告のようだった。
1999年に米国に逃亡して16年ぶりに引き渡されたパターソン被告はソウル拘置所に収監されており、ソウル中央地方裁判所刑事第27部審理で来月再開される予定の裁判の準備をする。
97年4月3日午後9時50分ごろ、梨泰院のハンバーガー店のトイレで弘益(ホンイク)大学に通っていたチョ・チュンピル氏(当時22歳)が首や胸など凶器で9回も刺されて亡くなった。申告を受けた米軍犯罪捜査隊(CID)は3日後に米第8軍領内のホテルでパターソン被告を逮捕した。米第8軍の下水口からはパターソン被告が捨てた長さ9.5センチの刃物も発見した。特に「パターソンが殺人をしたと打ち明けた」という周囲の人の情報提供も確保された。CIDは在韓米軍の軍人の息子であるパターソン被告が犯人だと判断し、身柄をソウル龍山(ヨンサン)警察署強力第1チームに引き渡した。
だがトイレの中にはパターソン被告と一緒にエドワード・リー元被告(当時18歳)がいたことが分かり複雑になった。リー元被告は事件発生から5日後に自首した。警察調査でパターソン被告はエドワード・リー元被告を、リー被告はパターソン元被告を犯人だと主張した。警察は「2人を共同正犯で起訴しなければならない」という意見を付けて事件をソウル中央地検刑事3部に送った。検察の判断は違った。リー元被告の単独犯行として結論を出し、リー元被告に殺人罪を、パターソン被告には証拠隠滅・凶器所持罪だけを適用して拘束起訴した。亡くなったチョさん(176センチ)よりも背が高い者の犯行である可能性が高いという法医学者の解剖検査の結果が主な根拠だった。リー元被告は身長180センチ、体重105キロで、パターソン被告は172センチ、63キロだった。リー元被告は1審で無期懲役、2審で懲役20年を宣告された。だが最高裁は「さまざまな情況上、リー元被告の単独犯行とみるのは難しい」としてリー元被告を無罪判決とした。パターソン被告は98年8・15の特別赦免で出所した後、99年8月米国に逃走した。12年が流れ再捜査に出た検察は2011年、パターソン被告を殺人罪で起訴して強制召還に出た。新しく導入された血痕分析技法で犯行を再演したところパターソン被告が犯人として出てきたという理由だった。
今後の裁判で検察はパターソン被告の犯行を立証しなければならない。18年前の事件のため新たな証拠を探すことも、パターソン被告の自白を聞いたという目撃者を証人として立てるのも難しい。現在としてはパターソン被告を犯人だと目星をつけた米国CIDの報告書が法廷証拠に採択されるかがカギだ。チョさんの母親は23日「毎日パターソン被告が捕まるようにしてほしいと祈っていた」として「今からでも裁判を受けられるようになって幸運だ」と話した。
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