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<魅力コリアレポ>(2)魅力国家の条件…「古い未来」高麗から学ぼう

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

ソウル龍山区の梨泰院小学校の児童が17日、運動場で縄跳びをしている。この学校の全校生410人のうち52人(13%)は多文化家庭で育っている。

江華島の平和展望台でパク・ジョンギ国民大教授(左)とイ・ムンジェ慶煕大教授が対話している。教授の向こう側には高麗時代に碧瀾渡(ビョクランド)があった北朝鮮の礼成江(イェソンガン)河口が見える。

国際貿易の中心地、碧瀾渡

高麗開京の国際港である碧瀾渡に宋の船が入ってくる日、一帯は数千の人波で埋まった。李奎報の詩句のように、漁船と官選(漕運船)、外国商船が並び、船着場の間をつなぐ船橋が形成されたりした。1014年(顕宗3年)から1278年(忠烈王4年)まで計120回ほど、約5000人の宋の人々が入国した。契丹と女真、日本、アラビアの人々が出入りし、世界に「コレア(コリア)」という名前を知らせた。


8日、江華島(カンファド)最北端の平和展望台から碧瀾渡(ビョクランド)跡を眺めた。3時方向から9時方向まで遮るものは何もない。清明な北側の空の下の遠くに開京の松岳山(ソンアクサン)が見えた。南北を遮るものは水とその真ん中の軍事境界線だけだった。その水は川でも海でもない。合流した漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)は江華島と金浦(キンポ)半島の間を流れて礼成江(イェソンガン)を抱く。満ち潮と引き潮を繰り返しながらお互いを包容し、最後には海に流れる。まさに「碧瀾渡」だ。




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