日帝の36年間の植民地統治から解放されて今日でちょうど70年だ。光復(解放)70年を迎える我々の感慨は格別だ。日帝の圧制と収奪、戦争の惨禍を踏んで、我々は世界が奇跡と呼ぶ政治・経済的な発展を成し遂げた。第2次世界大戦以前に植民地統治を経験した人口5000万人以上の規模の国のうち、産業化と民主化に同時に成功した国は韓国しかない。しかし偉大な成就への自負心と誇りだけで今日を迎えられないのが、我々の現実だ。
日帝の強占から抜け出して70年、日本と国交を正常化してから50年が過ぎたが、今日の韓日関係は歴代最悪という言葉が合うほど悪化している。光復70年は分断70年だ。最後に残った冷戦の真ん中に位置する南北関係も極度にふさがっている。光復70年の共同行事は実現しなかった。朴槿恵(パク・クネ)大統領の写真を標的にして北朝鮮の軍人が射撃訓練をする場面が今の南北関係を象徴している。韓日関係と南北関係で突破口を見いだせなければ、光復と分断の70年はただ通過していく数多くの記念日の一つに埋もれてしまう。
好き嫌いに関係なく韓国と日本は隣国として付き合っていくしかない。両国が消耗的な葛藤と反目を続けるのはお互いマイナスだ。韓国は植民地支配の旧怨とコンプレックスから自由になれるほど国家発展を成し遂げたにもかかわらず、韓日関係が逆回りしている最も大きな理由は、言うまでもなく現日本首相である安倍晋三の退行的な歴史認識のためだ。
安倍首相は「侵略の定義は定まっていない」と公開的に発言し、太平洋戦争のA級戦犯が合祀されている靖国神社を参拝することで「歴史修正主義」論争に火をつけた。旧日本軍従軍慰安婦動員の強制性を認めた「河野談話」を覆す動きを見せて韓国人の傷口に塩を塗った。昨日発表した戦後70年談話(安倍談話)も我々の期待には及ばない。
安倍首相は終戦50周年に発表された「村山談話」の4つのキーワード「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」などに言及したが、誰が誰に何のためにする謝罪なのかをあいまいにした。「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と過去形で謝罪に言及した。気持ちを込めた真の謝罪と反省と見るには物足りない。国際社会の厳しい目を意識してやむをえず出した談話という印象が強い。
しかし韓日関係がこのように悪化したのは韓国政府の責任もなくはない。朴槿恵政権は慰安婦問題が解決されるまでは日本と首脳会談をしないとあらかじめ線を引き、自らを束縛する愚を犯した。国益のために外交的柔軟性を発揮できる余地を自ら失くしたことで、日本首相の口ばかり眺める状況を自ら招いたのだ。「安倍談話」の内容を見て朴大統領が光復70年演説の程度を調節するしかないのなら、他の人々が韓国をどのように見るだろうか。安倍首相が何と述べようと、我々は我々のメッセージを込めなければならない。日本の過ちをすべて忘れて許そうということではない。胸に刻んでおいて実利に立脚した冷静な外交をしようということだ。
朴槿恵政権は世襲独裁体制である北朝鮮の特殊性を度外視したまま、我々が理性的で合理的な姿勢を見せれば北朝鮮も誠意を見せるだろうという純粋な発想で接近した。我々の善意を信じて北朝鮮がついてくることを期待するのは無理だ。北朝鮮の挑発には国家安保レベルで断固対応するものの、平和を構築するための対話の努力を併行しなければいけない。しかし最近の北朝鮮の地雷挑発に対する対処に見られるように、朴槿恵政権は国家安保、南北対話ともに期待に達しなかった。南北関係はますます絡んでいる。本当に平和と統一を考えるなら、より柔軟かつ創意的な接近で分断70年の障壁を越えなければならない。
いま北東アジア情勢は前例のない不安定性を見せている。米国は中国牽制のための軍事的圧力を強化している。日本は「積極的平和主義」という美名のもと、米国との軍事的密着に拍車を加えている。集団的自衛権の行使のための立法措置を通じて、平和憲法9条を無力化する手続きも着々と進めている。日本が戦争可能な普通の国になれば、北東アジアで日中の葛藤がさらに深まるのは明白だ。
韓日中関係は北東アジアの平和と安定の核心だ。その中で韓日、日中の葛藤も解消され、北朝鮮核問題の解決の糸口も見えてくる可能性がある。朴槿恵政権が韓日中首脳会談の再開のために努力するのは望ましいが、韓日中3カ国関係の復元のためには何より韓日関係が改善に向かわなければいけない。
光復70年を契機に韓国の外交は変わる必要がある。過去を踏まえて未来に進まなければならない。安倍首相の言葉と行動に一喜一憂し、過去の問題で言い合う偏狭な争いはもうやめるべきだ。北朝鮮に対しても過去よりも未来に重心を移すことが求められる。韓国は毅然とした文化国家、魅力国家に生まれ変わる第3の開国を通じて、北東アジアの大きな絵を描く主役にならなければならない。我々にはその資格がある。
日帝の強占から抜け出して70年、日本と国交を正常化してから50年が過ぎたが、今日の韓日関係は歴代最悪という言葉が合うほど悪化している。光復70年は分断70年だ。最後に残った冷戦の真ん中に位置する南北関係も極度にふさがっている。光復70年の共同行事は実現しなかった。朴槿恵(パク・クネ)大統領の写真を標的にして北朝鮮の軍人が射撃訓練をする場面が今の南北関係を象徴している。韓日関係と南北関係で突破口を見いだせなければ、光復と分断の70年はただ通過していく数多くの記念日の一つに埋もれてしまう。
好き嫌いに関係なく韓国と日本は隣国として付き合っていくしかない。両国が消耗的な葛藤と反目を続けるのはお互いマイナスだ。韓国は植民地支配の旧怨とコンプレックスから自由になれるほど国家発展を成し遂げたにもかかわらず、韓日関係が逆回りしている最も大きな理由は、言うまでもなく現日本首相である安倍晋三の退行的な歴史認識のためだ。
安倍首相は「侵略の定義は定まっていない」と公開的に発言し、太平洋戦争のA級戦犯が合祀されている靖国神社を参拝することで「歴史修正主義」論争に火をつけた。旧日本軍従軍慰安婦動員の強制性を認めた「河野談話」を覆す動きを見せて韓国人の傷口に塩を塗った。昨日発表した戦後70年談話(安倍談話)も我々の期待には及ばない。
安倍首相は終戦50周年に発表された「村山談話」の4つのキーワード「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」などに言及したが、誰が誰に何のためにする謝罪なのかをあいまいにした。「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と過去形で謝罪に言及した。気持ちを込めた真の謝罪と反省と見るには物足りない。国際社会の厳しい目を意識してやむをえず出した談話という印象が強い。
しかし韓日関係がこのように悪化したのは韓国政府の責任もなくはない。朴槿恵政権は慰安婦問題が解決されるまでは日本と首脳会談をしないとあらかじめ線を引き、自らを束縛する愚を犯した。国益のために外交的柔軟性を発揮できる余地を自ら失くしたことで、日本首相の口ばかり眺める状況を自ら招いたのだ。「安倍談話」の内容を見て朴大統領が光復70年演説の程度を調節するしかないのなら、他の人々が韓国をどのように見るだろうか。安倍首相が何と述べようと、我々は我々のメッセージを込めなければならない。日本の過ちをすべて忘れて許そうということではない。胸に刻んでおいて実利に立脚した冷静な外交をしようということだ。
朴槿恵政権は世襲独裁体制である北朝鮮の特殊性を度外視したまま、我々が理性的で合理的な姿勢を見せれば北朝鮮も誠意を見せるだろうという純粋な発想で接近した。我々の善意を信じて北朝鮮がついてくることを期待するのは無理だ。北朝鮮の挑発には国家安保レベルで断固対応するものの、平和を構築するための対話の努力を併行しなければいけない。しかし最近の北朝鮮の地雷挑発に対する対処に見られるように、朴槿恵政権は国家安保、南北対話ともに期待に達しなかった。南北関係はますます絡んでいる。本当に平和と統一を考えるなら、より柔軟かつ創意的な接近で分断70年の障壁を越えなければならない。
いま北東アジア情勢は前例のない不安定性を見せている。米国は中国牽制のための軍事的圧力を強化している。日本は「積極的平和主義」という美名のもと、米国との軍事的密着に拍車を加えている。集団的自衛権の行使のための立法措置を通じて、平和憲法9条を無力化する手続きも着々と進めている。日本が戦争可能な普通の国になれば、北東アジアで日中の葛藤がさらに深まるのは明白だ。
韓日中関係は北東アジアの平和と安定の核心だ。その中で韓日、日中の葛藤も解消され、北朝鮮核問題の解決の糸口も見えてくる可能性がある。朴槿恵政権が韓日中首脳会談の再開のために努力するのは望ましいが、韓日中3カ国関係の復元のためには何より韓日関係が改善に向かわなければいけない。
光復70年を契機に韓国の外交は変わる必要がある。過去を踏まえて未来に進まなければならない。安倍首相の言葉と行動に一喜一憂し、過去の問題で言い合う偏狭な争いはもうやめるべきだ。北朝鮮に対しても過去よりも未来に重心を移すことが求められる。韓国は毅然とした文化国家、魅力国家に生まれ変わる第3の開国を通じて、北東アジアの大きな絵を描く主役にならなければならない。我々にはその資格がある。
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