安倍談話の発表が秒読み段階に入った。日本の安倍晋三首相は、終戦70年を迎えて過去に対する反省と今後の日本がどんな貢献をするのかを示す談話を発表すると公言してきた。一国の指導者が歴史的時期を迎えて自国の過去と現在を振り返って未来のビジョンを公表するということ自体は自然な政治外交的な歩みだ。それでもなぜ唯一、安倍談話が日本国内はもちろん韓国・中国・米国など国際社会で熱いイシューになるのだろうか。
何より、安倍首相の歴史的認識があまりにも危険千万なためだろう。安倍首相は2012年、自民党総裁選挙に出た時から宮沢談話・河野談話・村山談話を修正すると主張していた。こうした歴史修正主義的な姿勢は、日本政界の理念的なスペクトラムから見ても、あまりにも右側に偏っているだけでなく歴代の日本政府の歴史政策ともかけ離れたものだった。「侵略の定義は決まっていない」とか「慰安婦の強制募集の証拠がない」というふうな右翼史観を主張してきたために彼の談話に世界の人々が注目するのだ。
歴代の日本政府は、韓半島(朝鮮半島)に対する苛酷な植民統治と中国・東南アジア・米国につながる15年間の侵略戦争に対して反省と謝罪を政府談話や首相発言、共同声明などで一貫して表明してきた。政府の公式談話だけみても1995年の村山談話、2005年の小泉談話を通じて過去の歴史に対する謝罪表明が行われた。93年には河野談話を通じて慰安婦に対する軍の関与と募集の強制性を認めて謝罪した。2010年の韓国併合100周年の首相談話でも韓半島植民統治が「朝鮮人の意思に反して行われた」と反省していた。だが、これをひっくり返すような妄言が右翼政治家たちによって繰り返されながら、謝罪の真正性を疑うようになる状況を生みだした。
安倍首相は専門家やオピニオンリーダーらで構成される「21世紀構想懇談会」から報告書を提出してもらい、今回の談話を閣議を経ない形で早期に発表すると明らかにしていた。談話に対する野党や世論の刃が鋭くなった攻勢を避けようという意図であった。
そのためか日本国内では今回出てくる談話が「安倍談話(政府の公式談話)」なのか「安倍の談話(首相個人の談話)」かを論じるいささか滑稽な議論まで起こった。安倍首相は日本政府の歴代談話を“全体として”継承するだろうが、歴代談話に出てきた単語一つひとつに縛られないと言及することによって世間の疑念をあおっている。
【時論】韓国、安倍談話に一喜一憂やめよう(2)
何より、安倍首相の歴史的認識があまりにも危険千万なためだろう。安倍首相は2012年、自民党総裁選挙に出た時から宮沢談話・河野談話・村山談話を修正すると主張していた。こうした歴史修正主義的な姿勢は、日本政界の理念的なスペクトラムから見ても、あまりにも右側に偏っているだけでなく歴代の日本政府の歴史政策ともかけ離れたものだった。「侵略の定義は決まっていない」とか「慰安婦の強制募集の証拠がない」というふうな右翼史観を主張してきたために彼の談話に世界の人々が注目するのだ。
歴代の日本政府は、韓半島(朝鮮半島)に対する苛酷な植民統治と中国・東南アジア・米国につながる15年間の侵略戦争に対して反省と謝罪を政府談話や首相発言、共同声明などで一貫して表明してきた。政府の公式談話だけみても1995年の村山談話、2005年の小泉談話を通じて過去の歴史に対する謝罪表明が行われた。93年には河野談話を通じて慰安婦に対する軍の関与と募集の強制性を認めて謝罪した。2010年の韓国併合100周年の首相談話でも韓半島植民統治が「朝鮮人の意思に反して行われた」と反省していた。だが、これをひっくり返すような妄言が右翼政治家たちによって繰り返されながら、謝罪の真正性を疑うようになる状況を生みだした。
安倍首相は専門家やオピニオンリーダーらで構成される「21世紀構想懇談会」から報告書を提出してもらい、今回の談話を閣議を経ない形で早期に発表すると明らかにしていた。談話に対する野党や世論の刃が鋭くなった攻勢を避けようという意図であった。
そのためか日本国内では今回出てくる談話が「安倍談話(政府の公式談話)」なのか「安倍の談話(首相個人の談話)」かを論じるいささか滑稽な議論まで起こった。安倍首相は日本政府の歴代談話を“全体として”継承するだろうが、歴代談話に出てきた単語一つひとつに縛られないと言及することによって世間の疑念をあおっている。
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