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「1030件の小倉コレクション、埋蔵遺物含む盗掘関与を暗示」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

小倉コレクションの主な遺物

小倉武之助氏(1870~1964)は韓日間の文化財関連事案が取り沙汰されるたびに必ず登場する名前だ。日帝強占期に小倉氏が韓半島(朝鮮半島)で収集した膨大な量の遺物群である「小倉コレクション」が登場するためだ。規模や内容が優れた大型コレクションである上に、収集から100年を経っても散失しなかった堅固さで代表標的になった。2014年9月現在、東京国立博物館東洋館に展示されている韓国文化財は計241件だが、そのうち125件が小倉コレクション保存会から寄贈された1030件の一部だ。

過去50年間、小倉コレクションは幾度となく言及されてきたが、その全貌が明らかにされることはなかった。国外所在文化財財団(理事長アン・フィジュン)が30日に公開した『小倉コレクション、日本にあるわれわれの文化財』は、このような古びた謎を解き明かしてくれる報告書だ。財団が過去2年間、専門家と共に国内外の資料を収集・整理し、できるだけ客観的な観点を堅持して叙述した。

第1部では小倉氏が1904年に韓国にやってきてからおよそ40年の間に文化財をどのような方法で収集し、45年に日本に戻ってどのようにコレクションを管理したか、時間の流れに沿って記述した。第2部は、現在、東京国立博物館に所蔵されている小倉コレクションの開館と目録、遺物のジャンル・性格別の説明について、遺物入手に関する興味深い情況が繰り広げられる。


小倉コレクションは、事業家・小倉氏の資金力、確固たる収集目的、盗掘の横行、文化財取引が活発だった時代状況まで重なって誕生した。日帝強占期、朝鮮総督府が公権力を利用して韓国の文化財を公式に発掘調査していた一方で、民間はこれを個別的に収集した。その中の代表格が小倉氏だったのだ。

オ・ダヨン調査研究室チーム長代理は「小倉が盗掘を主導したりそそのかしたりしたという明確な証拠はないが、当時、慶尚北道(キョンサンブクト)の発掘状況と盗掘の雰囲気をみると小倉が関与した可能性を排除するのは難しい」と話した。高宗(コジョン)の冠である「翼善冠」など朝鮮王室関連の服飾と所用品の多数が小倉コレクションの手に渡ったことは返還要求の正当性を主張できる重要資料だと説明した。

敗戦国の一介の帰還者に過ぎなかった小倉氏は収集した文化財をどのように日本に持って行ったのだろうか。小倉氏は1930年代からすでに収集品を小分けにして日本に移動させていたことが今回の調査で明らかになった。31年に東京につくった私邸にコンクリートづくりの貯蔵庫を構えて数千件を保管した。搬出遺物は東京国立博物館遺物担当者に見せて鑑定を受けた後、日本の国宝または重要美術品として指定を受けた。チェ・ヨンチャン調査研究室長は「埋蔵文化財と王室服飾類は不法・不当な文化財の取り引きと収集を暗示している」と指摘した。

◆小倉武之助=千葉県出身の事業家で韓国文化財収集家。1904年に韓国へ渡ってきて大邱(テグ)電気会社を設立した後、朝鮮総督府の政策に後押しされて金融と電気事業を拡張して富を蓄えた。慶州(キョンジュ)古跡保存会の評議員という身分を足がかりに、資金力と権力で数千件を越える多方面の韓国遺物を集めて「小倉コレクション」をつくった。58年に財団法人小倉コレクション保存会を設立して理事長に就任した。64年に小倉氏が亡くなった後、保存会は81年に東京国立博物館に小倉コレクションを寄贈した。



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