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百済歴史遺跡、世界遺産に登録…韓国12件目

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

4日、ドイツ・ボンで開かれたユネスコ世界遺産委員会で世界遺産に登録された百済歴史遺跡地区8カ所のうちの4カ所。写真は全羅北道益山の弥勒寺跡。660年まで存続し、古代東アジアの共有文化圏の形成に中心的な役割を果たした古代国家・百済の歴史と文化が新たに照明が当てられたことに伴い、この地域の観光活性化と並行して韓国文化遺産のグローバル化が期待される(写真=文化財庁)

忠清南道扶余の定林寺跡

忠清南道扶余の羅城

忠清南道公州の松山里古墳群

韓国・北朝鮮ユネスコ世界遺産登録目録

登録が確定した地域は忠清南道(チュンチョンナムド)公州の公山城(コンサンソン)と松山里(ソンサンリ)古墳群の2カ所、忠清南道扶余の官北里(クァンボクリ)遺跡と扶蘇(プソ)山城、陵山里(ヌンサンリ)古墳群、定林寺(チョンリムサ)跡、扶余羅城(ナソン)の4カ所、全羅北道(チョンラブクド)益山の王宮里(ワングンリ)遺跡と弥勒寺(ミルクサ)跡の2カ所などだ。2000年の慶州(キョンジュ)歴史遺跡地区、2004年の北朝鮮高句麗古墳群に続き、百済歴史遺跡地区まで登録されたことで韓半島(朝鮮半島)に根をおろした古代3国家の首都圏文化がすべて世界遺産になった。


審査を行った世界遺産委員会と国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコモス)は百済歴史遺跡地区が「韓国・日本・中国の三国古代王国の間の相互交流の歴史をよく残しており、百済の来世観・宗教・建築技術・芸術美などを含む百済の歴史と文化の突出した証拠」と評価した。およそ1400年前の東アジア文化交流の中心だった百済の文化遺産が世界の人々の文化遺産として生まれ変わったのだ。




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