金鍾泌元首相が21日、ソウル・新堂洞の自宅で韓日関係について話している。彼は「歴史はいくら覆い隠そうとしても隠せない」と話した。
1961年11月12日、東京を訪問した当時の朴正熙最高会議議長(右)が日本の池田勇人首相と歓談している。(写真=金鍾泌元首相秘書室)
金元首相は21日その日の鮮やかな感慨と、今日の行き詰まった両国関係を行き来しながら朴槿恵(パク・クネ)大統領と日本の安倍晋三首相に激情的な助言を惜しまなかった。
――いまの韓日関係はどんな状態ですか。
「前が見えないほどの濃霧が2国間に立ち込めている。だれがこれを片づけ明日の仲の良い両国関係を開くだろうか。これをかき分けて行く責任者は両国の首脳だ。朴槿恵大統領と安倍首相はどのような理由で蓄積されようがお互いに対する人間的な感情を払拭しなければならない。両国の未来を営む相互扶助の道を決断しなければならない。私は50年前に売国奴と言われながら韓日関係をまとめ上げた。朴大統領と安倍首相が、当事者が解決するという心情で関係を回復させなければならない」
――両指導者が備えるべき姿勢は何ですか。
「外交に感情を混ぜてはならない。両国関係がこじれればその損害は国民が被る。小乗的態度を捨て大乗的姿勢を取らなければならない。あなた方(朴槿恵・安倍)は時が来れば退くが、国民は永遠だ。国民同士が永遠の親善友好関係を結べるよう踏み台を用意するのが大乗的立場だ。人間的で感情的な関係を乗り越える勇気を出さなければならない。2人が濃く立ち込める霧の中から出られるよう望む」
「明日のために敵とも手を握る」というのは韓日会談の時に金元首相が一貫して抱えていた精神だった。61年10月25日の池田首相と初めて会談、62年11月の金・大平請求権会談、64年の屈辱外交反対デモと6・3事態を突破しながら彼が経験した韓日関係は、現在と比較できないほど荒々しく険悪だった。日本は韓国を軽蔑し、韓国は日本を憎悪した。
――国交正常化交渉にどのような気構えで臨んだのですか。
「60年代に韓国が置かれた地政学的条件を考えた。その時もいまも韓国の生存と繁栄は外交、それ自体にかかっている。西側には中共が、北側にはソ連が立ちふさがり大陸に行く道がなかった。韓国は大陸の終わりに盲腸のようにしがみついている境遇ではないのか。南側は3000キロメートル以上伸びている日本だ。韓国が生きるためには日本を踏み石として太平洋・インド洋に伸びていかなければならない。日本が憎くても韓国が生きる道を開いていくべきだ。そんな考えだった」
「売国奴と言われながら作り上げた韓日関係…両国首脳が回復してくれたら」(2)
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