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「地中海で死ぬとしても…」難破も防げなかった脱出行列

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「地中海で死ぬかもしれないが、それでさえも良い選択だ」。

アフリカと中東の紛争や貧困を避けて、10年間で数十万人がこうした思いで地中海に向かった。昨年だけで17万人がその道を選び、途中で3000人余りが亡くなった。地中海は「死の海」になった。今年に入ってから致死率はかえって増した。すでに1500人以上が亡くなった。

しかし依然として渇望の目で地中海を眺め、死ぬ恐れがあることも知っていながら旅立つ者たちがいる。いや、むしろ増加している。外信が伝えた彼らの事情だ。


リビア内にある収容所のムハンマド・アプタルラ(21)。南スーダンのダルフール出身である彼は、大虐殺が広がった2006年に父をなくした。妹は性的暴行にあった。そこを離れなければならなかった彼はサハラ砂漠を渡った。同行した男兄弟やいとこはその間に亡くなった。

ついに昨年リビアに到着した。初めは石鹸の店で働いた。欧州行きの乗船料を稼ぐためだった。お金が用意できたかと思えば強盗に襲われた。また稼いだかと思うと警察に逮捕された。さめざめと泣きながら、こうした事情を打ち明けたアプタルラは断固としてこう話した。「欧州に行かなければならない」。

彼のリビアでの生活はそれなりに良い方だった。タミアという名の難民は「(人身売買犯が)殴ったりした。性的暴行にもあった。私たちは動物よりも下だった。排泄物扱いされた。時には銃で撃ったりもした」と打ち明けた。リビアから一日も早く離れなければならなかった。

数千から数万ドルに及ぶ乗船料があっても、生死の岐路に立たなければならなかった。船自体が小さな漁船や救命ボート、小型プラスチック船だったからだ。そこに数十人から数百人が、足の踏み場もない状況で乗船した。いつでも転覆の危険性があった。

アブ・クルケは2012年、そんな船に乗った。1200ドル(約130万ウォン)を払ってリビアのトリポリから220キロ離れたイタリアのランペドゥーサに向かう古い船だった。72人が同乗した。リビアの武装勢力が占領するという理由で飲料水も持っていかないようにした。子供を持つ若い夫婦から子供用の食べ物や水が入ったカバンまで奪った。彼らは出港する時「24時間ですぐランペドゥーサに到着するだろう」と話した。

現実は違っていた。1日、2日と漂流しながら亡くなる者が出始めた。ヘリコプターが過ぎ去りながらビスケットと水を船に落としたが、とても足りない量だった。一部の難民は空腹に耐えられず自ら海に飛び込んだ。過ぎ行く船舶に向けて死んだ赤ん坊をあげて見せたが、反応を見せなかったという。結局2週間後に救助された。その間に生存者はクルケを含む9人だけだった。

戦いは海とだけではなかった。船内では「地獄」が繰り広げられた。宗教を理由に同僚の難民を海に溺れさせたこともあった。最近救助されたある船の難民は大火傷を負っていた。メヒレティブという女性は「事故後に服がみな焼けた」と話すだけで詳しい話ができなかった。

それでも難民は「地中海を渡ってイタリアに向かうのも非常に危険だが、それでも1日だけ耐えればいい旅行」「欧州は天国」と話す。第2のアプタルラ、クルケが続くだろうという意味だ。



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