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<インタビュー>「村田製作所の社員は社長の私にどんな話でもみんなする」(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

ムラタセイサク君。

村田恒夫社長(63)は創業者である村田昭(1921~2006)の三男だ。父は1991年に長兄の村田泰隆に経営権を譲り、2007年に長兄が事業から手を引き第3代社長に就任した。次兄の村田理如は2000年に会社を離れ京都市内で美術館を運営している。長兄が社長として務めた16年間に村田恒夫は米国やドイツなどの事業所で勤務した。彼は「私がもし本社だけで働いたとすれば現場の声を全く聞けなかっただろう」と話す。彼から現場経営の重要性と21世紀にも通じる匠の精神を聞いてみよう。

――世界のコンデンサー市場を制覇することになった秘訣は何か。

「セラミックコンデンサー事業だけで70年目だ。長い年月にわたりこの分野だけでやってきたので核心技術と能力を持つことになった。材料、プロセッシング、デザインなど、積層セラミックコンデンサーと関連したあらゆる業務で世界最高の競争力を持つことになった」


――歴史が長いからと無条件で競争力を備えられるものではないが。

「あえて別の点というならば研究開発が挙げられる。われわれは売り上げの6~7%を研究開発に使う。他の会社に比べ多い金額だと考える。長い歴史がもちろん基本だ。新技術を開発し発展させるには多くの時間が必要だ。知識と経験が蓄積される時間も必要だ。また、最近では消費者の新たなニーズが突然生まれる傾向がある。それも大きな数を要する場合が多い。技術を開発することも重要だが、それを素早く商用化して消費者に調達することがもっと重要だ」

――村田製作所の好況はいつ始まったのか。

「太平洋戦争が終わってラジオが普及して始まった。チューブ形態になった現在よりはるかに大きいセラミックコンデンサーに対する需要が増えた。50年代には電子製品の発展とともにセラミック素材部門でさまざまな発明品が生じた。特に父は京都大学にほぼ住み込みながら研究結果を共有し支援を多く受けた」

――製品の形態は変わったがひとつの技術に頼っていたようだ。

「そうだ。セラミッコンデンサーはほとんどすべての電子製品に必要不可欠な部品だ。父の判断が良かった(笑)。この市場には無限の可能性があり、『いまこんなものが売れるなら次はあんなものが多く売れるだろう』という予測もある程度することができた。80年代に携帯電話が登場し、その時から現在のスマートフォンに至るまでわれわれはコンデンサーを小さく、さらに小さくさせる方法を研究した」

――今後自動車やヘルスケア部品市場に進出すると聞いた。

「現在のわれわれの事業は通信部品に50%程度依存している。いまは見た目には安定した成長が続いているが、そうではない時期が必ず来るだろう。成長を継続するためには今後どの部門に成長可能性があるのか見回さなければならない」

――なぜ自動車とヘルスケアなのか。

「その分野で電子製品の活用が増えたり、これまで人がしていたことを電子化する頻度が高まっている。電気自動車の開発が急速に進展しており、ハイブリッド自動車の比率も高まっている。高齢化が速いスピードで進んでおり、健康に対する関心が高まりヘルスケア分野でも各種電子製品があふれている」(中央SUNDAY第418号)



<インタビュー>「村田製作所の社員は社長の私にどんな話でもみんなする」(2)

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