キム氏は1984年3月に進歩指向の文化団体「ウリマダン(私たちの広場)」を創立した在野の活動家だ。全羅南道康津(チョンラナムド・カンジン)生まれで成均館(ソンギュングァン)大学法学科を卒業したキム氏は、「歴史断絶を文化で克服する」としてさまざまな団体を設立してタルチュム(仮面劇)・パンソリなどを普及させてきた。96年に彼が設立したウリマダン統一文化研究所が開催した討論会には、禹相虎(ウ・サンホ)・李鍾杰(イ・ジョンゴル)・文炳浩(ムン・ビョンホ)新政治民主連合議員と鄭東泳(チョン・ドンヨン)元議員らが参加した。2006年5月には「ウリマダン独島(ドクト)守護神」という団体を作って本籍を独島に移し本格的な反日運動に乗り出した。北朝鮮にも8回訪問した。
キム氏の知人らは「キム氏が暴力的で偶発的な行動で数回物議をかもしながらほかの活動家たちから遠ざかり始めた」と伝えた。「ウリマダン浸透事件」(88年発生)の真相究明を要求して2007年10月、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の前で焼身を図った事件が代表的だ。2010年7月にはソウルプレスセンターで講演をした重家俊範・駐韓日本大使にコンクリートの塊2つを投げた容疑(外国使節暴行など)で拘束起訴され、裁判で懲役2年・執行猶予3年を宣告された。2011年に国家保安法被害者の会の3人と共に徳寿宮(トクスグン)大漢門の前に金正日(キム・ジョンイル)総書記の焼香所を設置しようとしたが父母連合の暴行にあった。
キム氏の知人らは「キム氏が暴力的で偶発的な行動で数回物議をかもしながらほかの活動家たちから遠ざかり始めた」と伝えた。「ウリマダン浸透事件」(88年発生)の真相究明を要求して2007年10月、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の前で焼身を図った事件が代表的だ。2010年7月にはソウルプレスセンターで講演をした重家俊範・駐韓日本大使にコンクリートの塊2つを投げた容疑(外国使節暴行など)で拘束起訴され、裁判で懲役2年・執行猶予3年を宣告された。2011年に国家保安法被害者の会の3人と共に徳寿宮(トクスグン)大漢門の前に金正日(キム・ジョンイル)総書記の焼香所を設置しようとしたが父母連合の暴行にあった。
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