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ISの子供抱いた「イスラムの友人」、ついにISの刃に…

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
難民に追いやられた子供たちの痛みと希望を全世界に伝えるとして現場にこだわった日本人ジャーナリストの後藤健二氏(47)。

彼は2010年9月、自身のツイッターに「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」という文を載せた。これほど彼が友のように大切にしていたイスラムの地で、彼は結局、戻ってこない遺体となった。スンニ派武装団体イスラム国(IS)は1日明け方5時頃に後藤氏の斬首された動画をインターネットに公開した。先月24日、湯川遥菜氏(42)に続き後藤氏まで殺害される最悪の結果で今回のISの日本人人質劇は幕を下ろした。

後藤氏の死が知らされた1日朝、母親の石堂順子さん(78)が報道陣の前に立った。彼女の声は震えていたがメッセージは強烈だった。「今はただ悲しみで涙するのみ。だが息子は戦争のない世の中を夢見ていた。息子は紛争と貧困から子供たちを守るために働いた。その信念が全世界の人々に伝えられることを願う。また、この悲しみが憎しみの連鎖を作ることは望んでいない」。


後藤氏は名門私立・法政大学在学中に米国コロンビア大学に1年間留学するなど国際問題に関心が高かった。卒業後、日立グループの子会社に就職し、しばらくサラリーマン生活をしたがジャーナリストの道をあきらめられなかった。20代半ばにジャーナリズムの世界に足を踏み入れた後藤氏は、制作会社の現場経験を経て1996年「インディペンデント・プレス」という独立制作会社を設立した。その後、小型カメラを手に中東・北アフリカ・アフガニスタンなど険しい土地を飛び回った。紛争地域で教育を受けられないままだったり少年兵になったりして戦場に追い立てられた子供たちの姿を伝えることを宿命と感じていた。ユニセフ関連の仕事にも積極的に協力してきたという。イラク戦争の現場に行こうとする後藤氏を引き止める妻と離婚する痛みも体験した。

イラク戦争の取材当時、大多数の西側メディアがフセイン政権の崩壊とこれを喜ぶ市民に焦点を合わせていたが、後藤氏は戦争で命を失った現地の人々の墓を訪れて死の恐怖に震える市民に近づいた。3年前にはシリア内戦の現場を見て回り、ふいに涙を流したという。暴力と貧困に苦しめられるシリアの子供たちにPCを教えるプロジェクトを作ろうと2000ドル(約220万ウォン)を寄付して「私の名前は明らかにしなくてもいい」と言った。このため多くのイスラム勢力は後藤氏を「イスラムの友人」と感じていた。ISが一部で実効支配しているシリアのアレッポでも現地の子供たちと交流した。シリア政府、反政府グループの双方から取材許可が得られる日本人ジャーナリストは彼がほぼ唯一だった。

昨年10月ISに拘束された湯川氏を助けるために彼は3年前に再婚した妻、そして生後3週間にしかならない2人目の娘を残してシリアに向かった。彼がISに抑留された事実が公開された後、イスラム内でも「後藤氏を生かそう」という声が激しかった。インターネットで後藤氏の無事帰還を祈る「I AM KENJI」運動にイスラム圏の市民まで大々的に参加した。

後藤氏の死亡の事実が知らされた1日、あちこちで後藤氏を追悼する声が相次いだ。「私たちの心は後藤氏の家族と共にある」(米国オバマ大統領)、「野蛮な殺害行為を最も強い表現で非難する」〔潘基文(バン・ギムン)国連事務総長〕など後藤氏の死を惜しむ反応が続いた。



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