#1995年1月6日。金泳三(キム・ヨンサム)大統領が執権3年目の新年記者会見をした。
--大統領が野党にあまりにも譲歩しないのでは。
「自分自身が難しい時代に野党生活をし、誰よりも野党を理解している立場だ。しかしはっきりと言いたいことがある。私が野党の時代は民主主義がなかった時代だ。言論の自由がない時代だ。率直にいうと今は言論の自由があまりにも多い。誤報をしても訂正しないではないか」
#金大中(キム・デジュン)大統領は執権3年目の2000年に新年記者会見をしなかった。その代わりに「服ロビー事件」で騒々しくなると、99年12月19日にKBS(韓国放送公社)と対談をした。
--服ロビー事件などを見ると、大統領を補佐する方々がむしろ大統領をさらに厳しくさせるようだ。
「弁解する言葉がない。嘘、偽証、こういうものが国民を怒らせ、政府がその渦中に引き込まれ、現在苦痛を味わっている。もちろん国民も悔しいだろうが、政府も悔しい時が多い」
--外側では大統領があまりにも細かく博学であるため、長官が消極的だという声がある。参謀や長官が現在、大統領を説得することができるのか。
「長官だけでなく秘書官が頻繁に大統領に面談を申請し、建議するようにしている。また私がそうしろと…。議論の道は完全に開放されている」
5年任期の大韓民国大統領に最も危険な瞬間が執権3年目だ。2年間の報告と国務会議などで大統領は国政のすべての分野でよく武装している。頻繁な人事のため首席秘書官・長官よりもよく知っている。私的な席で「あなたが長官になる前からこれは私がまとめてきたことだが」と話せるようになる。自信がついただけに自分でなければいけないことをしたくなる。大統領という地位の力も感じ始める。固執が強まり、頑固になるのがこの時期からだ。
一方、国民は正反対だ。大統領とのハネムーンが終わり“夫婦げんか”が増える。何をしてもかわいく見え、助けたいと思った大統領が、今は傲慢になっていると感じる。私の生活は苦しいのに、大統領は自分が責任も負わない未来のために我慢しろとばかりいう。国民と大統領の間で不和が頻繁になり、国民はうんざりし始める。
【時視各角】朴槿恵統領が危険だ(2)
--大統領が野党にあまりにも譲歩しないのでは。
「自分自身が難しい時代に野党生活をし、誰よりも野党を理解している立場だ。しかしはっきりと言いたいことがある。私が野党の時代は民主主義がなかった時代だ。言論の自由がない時代だ。率直にいうと今は言論の自由があまりにも多い。誤報をしても訂正しないではないか」
#金大中(キム・デジュン)大統領は執権3年目の2000年に新年記者会見をしなかった。その代わりに「服ロビー事件」で騒々しくなると、99年12月19日にKBS(韓国放送公社)と対談をした。
--服ロビー事件などを見ると、大統領を補佐する方々がむしろ大統領をさらに厳しくさせるようだ。
「弁解する言葉がない。嘘、偽証、こういうものが国民を怒らせ、政府がその渦中に引き込まれ、現在苦痛を味わっている。もちろん国民も悔しいだろうが、政府も悔しい時が多い」
--外側では大統領があまりにも細かく博学であるため、長官が消極的だという声がある。参謀や長官が現在、大統領を説得することができるのか。
「長官だけでなく秘書官が頻繁に大統領に面談を申請し、建議するようにしている。また私がそうしろと…。議論の道は完全に開放されている」
5年任期の大韓民国大統領に最も危険な瞬間が執権3年目だ。2年間の報告と国務会議などで大統領は国政のすべての分野でよく武装している。頻繁な人事のため首席秘書官・長官よりもよく知っている。私的な席で「あなたが長官になる前からこれは私がまとめてきたことだが」と話せるようになる。自信がついただけに自分でなければいけないことをしたくなる。大統領という地位の力も感じ始める。固執が強まり、頑固になるのがこの時期からだ。
一方、国民は正反対だ。大統領とのハネムーンが終わり“夫婦げんか”が増える。何をしてもかわいく見え、助けたいと思った大統領が、今は傲慢になっていると感じる。私の生活は苦しいのに、大統領は自分が責任も負わない未来のために我慢しろとばかりいう。国民と大統領の間で不和が頻繁になり、国民はうんざりし始める。
【時視各角】朴槿恵統領が危険だ(2)
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